共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

交響曲・最後から2番目の美学

2014年12月06日 19時27分36秒 | 日記
俗にクラシック音楽と称される音楽の中で、今日最も重要視されているものの一つが交響曲ではないでしょうか。もっとも交響曲という音楽は元々オペラの序曲=シンフォニアから派生したものであって、特にモーツァルトやベートーヴェンの活躍した時代には、どんな交響曲の名作を書いてもオペラで成功しない作曲家は一人前とみなされなかったと言いますから、今とは随分と事情が違っていたようです。

古典派の時代に交響曲というジャンルが確立して以来、数多の作曲家が名だたる名曲を残していますが、多作少作の如何を問わず、その作曲家にとって最も充実した作品は人生の最後に書き上げたものと思って疑いのないところであろうかと思います。交響曲の父ハイドンの第104番《ロンドン》、モーツァルトの革新的金字塔とも言うべき第41番《ジュピター》、言わずと知れたベートヴェンの第九、シューベルトの天国的な《ザ・グレイト》、実際の成立順はちょっと違いますがシューマンの第4番、ブラームスの挽歌とも言うべき第4番、ドヴォルザークの不朽の名作第9番《新世界より》、チャイコフスキーの遺言のような第6番《悲愴》、ブルックナーの未完の大作第9番、マーラーが『交響曲第9番を書くと死ぬ』というジンクスを乗り越えるべく実際の9番目の交響曲を《大地の歌》と称して折角負の連鎖を回避したのに、それに安心して第9番を正式に作ったら、結果的にこれまた未完に終わってしまった第10番…いわゆるメジャーどころを選りすぐっただけでも、これだけの名作がズラリと並びます。どれもこれも、作曲家がそれまで積み重ねてきた人生の集大成とも言うべき作品たちです。

しかし、個人的に気になるのが『最後から2番目の曲』なのですが、実はこちらもなかなかの名作揃いなのです。モーツァルトには度肝を抜かれるような大作第40番ト短調がありますし、ベートーヴェンの第8番は生命の喜びと躍動に満ち溢れた名作です。シューベルトには謎の名作《未完成》があり、シューマンには《ライン》があり、ブラームスには美しい第3楽章があまりにも有名な第3番があり、ドヴォルザークには叙情的な第8番があり、チャイコフスキーには苦悩から歓喜に突き進む第5番があり、ブルックナーには大オルガン的な第8番があり、マーラーには荘厳な第9番があるわけです。そしてそのどれもが最後となった作品に負けず劣らず、それぞれの作曲家の人生の集大成と言っても過言でないような作品が並びます。

そんな中、『最後から2番目の交響曲』界の中で割と割を食ってしまっているのではないかと思うのが、ハイドンの交響曲第103番《太鼓連打》です。

パッとタイトルだけ聞いてどんな曲かが思い描ける人が、世の中に一体どのくらいいるでしょうか?周辺に《軍隊》や《時計》、そして《ロンドン》といった超有名な曲が居並ぶ中においては、ちょっと地味な作品という感があるのも事実です。しかしこの曲も、そういったハイドンのメジャーどころ交響曲に負けず劣らずの充実した内容と規模を誇る名作です。そんな隠れた名曲を知って頂くべく、今日はYoutube上にあったマルク・ミンコフスキ指揮の動画を添付してみました。

因みにこの動画の冒頭でティンパニが、それこそ太鼓を景気よく連打していますが、実際の楽譜にはただ全音符にフェルマータとクレッシェンド・デクレッシェンドが1小節書いてあるだけです。しかし、当時は恐らくこのように何らかのアドリブプレイはしていたであろうと思われますから、こういった演奏もアリでしょう。なかなかの快演をお楽しみ下さい。

Haydn Symphony No 103 'Drumroll' E flat major Marc Minkowski
コメント
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