つい先頃、今年のノーベル賞受賞者への授与式が華やかに行われたことがニュースになったばかりですが、その余韻覚めやらぬ今朝、とんでもないニュースが飛び込んできました。
パキスタン北東部の町にある、主に軍関係の子女が通っている学校に武装した数人の男が押し入って無差別に発砲を繰り返した結果、当時学内にいた生徒や職員ら141人もの尊い命が奪われたという、何とも悲惨極まりないものです。事件後にイスラム原理主義団体タリバンが声明を発表し、事件に関与したことを認めていますが、生存者の証言から、犯行グループの一部がアラビア語で会話をしているのが確認されているとのことで、アルカイダの一部が関与している可能性もあるようです。
これは明らかに、2012年にパキスタンで銃撃されながらも奇跡的な回復を遂げて、その後も子供や女性の教育の必要性を世界に訴え続けてきたマララ・ユズフサイさんのノーベル平和賞受賞に抗うものであろうと思われますが、こんなやり方以外に方法はなかったのでしょうか。
タリバンとは元々パキスタンの言葉で『学生たち』という意味なのだそうです。初めはイスラム教神学校内の少人数の勉強会のようなものだったようですが、それが20世紀後半になって一部が原理主義化したあたりから、社会に対して過激な行為をするようになったようです。
これはあくまでも個人的な意見ですので、ここから先はそれを御了承頂いた上で御覧頂きたいのですが、特に宗教において《一神教》というものは必ずしも世の中を幸せにはしないものだと思っています。『アッラーの他に神は無く…』『天にまします唯一の真の神…』ということは、逆に言えばそれ以外は全て認めないということにもなるわけです。特にイスラム教では、自らの教えを流布させるために行う戦いを『ジハード(聖戦)』といって正当化し奨励までしています。それ故に世界史上で、特にイスラム教とキリスト教の間で幾度と無く戦争が繰り返されてきた歴史があるわけです。
しかし、20世紀後半に入ってから原理主義団体がジハードの理由に掲げている内容というのは、あまりに幼稚なものに感じてしまうのです。自分たちの言い分や考え方が通らないからであるとか、マララさんのように特定の人物の発言や行動が気に食わないからといったことで、割と安直に武器を手にとって集結して辺り構わずぶっ放しているようにしか見えないのです。それは教えを広めるための聖なる戦いというよりも、もはやデパートで好きなおもちゃを買って貰えなかった駄々っ子のようにしか見えません。
これからまだ犠牲者の数が増えてしまうかもしれませんが、こういった独りよがりな犯行の被害者がこれ以上出ることの無いよう祈念するばかりです。
パキスタン北東部の町にある、主に軍関係の子女が通っている学校に武装した数人の男が押し入って無差別に発砲を繰り返した結果、当時学内にいた生徒や職員ら141人もの尊い命が奪われたという、何とも悲惨極まりないものです。事件後にイスラム原理主義団体タリバンが声明を発表し、事件に関与したことを認めていますが、生存者の証言から、犯行グループの一部がアラビア語で会話をしているのが確認されているとのことで、アルカイダの一部が関与している可能性もあるようです。
これは明らかに、2012年にパキスタンで銃撃されながらも奇跡的な回復を遂げて、その後も子供や女性の教育の必要性を世界に訴え続けてきたマララ・ユズフサイさんのノーベル平和賞受賞に抗うものであろうと思われますが、こんなやり方以外に方法はなかったのでしょうか。
タリバンとは元々パキスタンの言葉で『学生たち』という意味なのだそうです。初めはイスラム教神学校内の少人数の勉強会のようなものだったようですが、それが20世紀後半になって一部が原理主義化したあたりから、社会に対して過激な行為をするようになったようです。
これはあくまでも個人的な意見ですので、ここから先はそれを御了承頂いた上で御覧頂きたいのですが、特に宗教において《一神教》というものは必ずしも世の中を幸せにはしないものだと思っています。『アッラーの他に神は無く…』『天にまします唯一の真の神…』ということは、逆に言えばそれ以外は全て認めないということにもなるわけです。特にイスラム教では、自らの教えを流布させるために行う戦いを『ジハード(聖戦)』といって正当化し奨励までしています。それ故に世界史上で、特にイスラム教とキリスト教の間で幾度と無く戦争が繰り返されてきた歴史があるわけです。
しかし、20世紀後半に入ってから原理主義団体がジハードの理由に掲げている内容というのは、あまりに幼稚なものに感じてしまうのです。自分たちの言い分や考え方が通らないからであるとか、マララさんのように特定の人物の発言や行動が気に食わないからといったことで、割と安直に武器を手にとって集結して辺り構わずぶっ放しているようにしか見えないのです。それは教えを広めるための聖なる戦いというよりも、もはやデパートで好きなおもちゃを買って貰えなかった駄々っ子のようにしか見えません。
これからまだ犠牲者の数が増えてしまうかもしれませんが、こういった独りよがりな犯行の被害者がこれ以上出ることの無いよう祈念するばかりです。