共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

身近な歴史的史跡~曾我兄弟の墓所のある古刹

2016年02月02日 20時05分40秒 | 神社仏閣
一昨日の日曜日の夜に、教育テレビで能の《夜討曾我(ようちそが)》が放映されていました。この演目は俗に『曾我物』と呼ばれるもののひとつです。

建久4年5月28日(1193年6月28日)に曾我十郎祐成(そがのじゅうろうすけなり)と曾我五郎時致(そがのごろうときまさ)の兄弟が、源頼朝が富士の裾野で行った巻狩りに乗じて、同行していた頼朝の家臣で、かつて兄弟の父・伊東祐泰を殺した工藤祐経(くどうすけつね)を討って父の仇をとったというお話で、赤穂浪士の討入り、伊賀越えの仇討ちと並ぶ日本三大仇討ちのひとつです。兄弟は見事本懐を遂げますが、兄の祐成は騒ぎを聞いて駆けつけた仁田忠常にその場で討たれ、弟の時致は捕らえられて翌日頼朝の御前に引き出されて事の次第を説明し、一旦は赦されようとするも、最終的には工藤の遺児の希望により処刑されてしまいました。

その後、艱難辛苦の末に見事仇討ちを果たしたこの兄弟の物語は世々語り継がれ、やがて能の《夜討曾我》や歌舞伎の《寿曾我対面》《助六由縁江戸櫻》といった『曾我物』という一大芸能ジャンルを確立するに至りました。

曾我兄弟のお墓については、関東から九州鹿児島にかけて、実に14箇所もの候補があります。有力なところとしては小田原・曽我谷津の城前寺や横浜市の願成寺が挙げられていますが、実は私が火曜日にレッスンに来ている二宮町にも所縁の深いお寺があります。それが浄土宗知足寺(ちそくじ)です。

六地蔵が出迎える階段を上がって門をくぐると、軒の低くて大きな屋根の本堂があります。曾我兄弟の墓所は裏手の墓地の一角にひっそりと建っています。ここには歌舞伎役者の方も度々墓参に訪れていて、かつては皇太子殿下も独身時代においでになったそうです。

さすがに他人様のお墓の写真を撮るのは忍びなかったので、謹んで手を合わせるだけで失礼しました。それにしても、こんな身近に歴史的な史跡があるということに、大いなる喜びを感じたのでありました。
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