今日も風の強い日となりました。今残っている梅の花も、もしかしたらこの強風で散り落ちてしまうかも知れません。
さて水曜日です。今日もあざみ野の《雫ノ下珈琲》にお邪魔しました。中途半端な時間にランチを済ませてしまったので、今日はブラジルと自家製ラスクを頂きました。深みのある苦味の奥にキャラメルのような仄かな甘さを感じるブラジルの風味は、甘いラスクによく合います。
ところで今日マスターさんとお話をしていたら、夏場に出すアイスコーヒーの話になりました。現時点でもアイスコーヒーは用意しているのですが、もっと何か工夫出来ないかと試行錯誤をしている最中だということでした。
そしてその話の流れで、2種類のアイスコーヒーのテイスティングさせて頂くことになったのです。一つは現行お店で出されているマンデリンを基調としたもので、もう一つは新しくブレンドしたケニア豆を基調としたタイプのものでした。
飲み比べてみるとそれぞれに美味しいのですが、個人的意見としてはマンデリンベースの方は苦味が立つ感じで、アイスカフェオレ等アレンジコーヒーにするのにちょうどいいように感じ、ケニアベースの方は味わいがすっきりしていて、変な言い方をすればいわゆる『アイスコーヒーっぽい』風味だなという印象を持ちました。これを一参考意見として、更に改良を重ねていかれるそうです。
何事もそうですが、自分らしいオリジナルを生み出すということは至難の技です。コーヒーは豆だけでも何十種類とあるわけで、それらを如何に焙煎するか、如何にブレンドするかによって、似ても似つかないものが出来上がるわけです。よく言えばそれが唯一無二のものである…とも言えるわけですが、プロフェッショナルとして悩まれるところは大きいでしょう。
音楽もよく似ています。バッハだろうがベートーヴェンだろうが、一つの曲に楽譜は一つしかありません。それをどう読み解きどう音に還元するか、そこで演奏家のセンスと力量が問われるわけです。
以前、
「何でクラシックのCDってあんなに沢山あるの?」
と聞かれたことがありました。タワーレコードなんぞに行ってみると、例えばベートーヴェンの《運命》だけでも何十枚もズラ〜っとCDが並んでのはどうしたわけだというのです。
だから、その時私は
「確かに《運命》の楽譜が沢山あるわけではない。みんな同じ楽譜を使って『ジャジャジャジャーン』を弾いているのだけど、例えば指揮者が違うとAさんとBさんとCさんとで『ジャジャジャジャーン』の読み解き方が違うの。」
「だから、《運命》の楽譜を読み解いた人の数だけ《運命》のCDがあることになるわけ。そして、聞く人は『どのジャジャジャジャーンが好きか』を選べばいいんだよ。」
と言いました。これが正しいかどうかは分かりませんが、その時の相手には何となく分かってもらえたようでした。
正解がないものを追求するということは、とても大変なことです。美味しいアイスコーヒーを飲み比べながら、そんなことを考えされた一日でした。
さて水曜日です。今日もあざみ野の《雫ノ下珈琲》にお邪魔しました。中途半端な時間にランチを済ませてしまったので、今日はブラジルと自家製ラスクを頂きました。深みのある苦味の奥にキャラメルのような仄かな甘さを感じるブラジルの風味は、甘いラスクによく合います。
ところで今日マスターさんとお話をしていたら、夏場に出すアイスコーヒーの話になりました。現時点でもアイスコーヒーは用意しているのですが、もっと何か工夫出来ないかと試行錯誤をしている最中だということでした。
そしてその話の流れで、2種類のアイスコーヒーのテイスティングさせて頂くことになったのです。一つは現行お店で出されているマンデリンを基調としたもので、もう一つは新しくブレンドしたケニア豆を基調としたタイプのものでした。
飲み比べてみるとそれぞれに美味しいのですが、個人的意見としてはマンデリンベースの方は苦味が立つ感じで、アイスカフェオレ等アレンジコーヒーにするのにちょうどいいように感じ、ケニアベースの方は味わいがすっきりしていて、変な言い方をすればいわゆる『アイスコーヒーっぽい』風味だなという印象を持ちました。これを一参考意見として、更に改良を重ねていかれるそうです。
何事もそうですが、自分らしいオリジナルを生み出すということは至難の技です。コーヒーは豆だけでも何十種類とあるわけで、それらを如何に焙煎するか、如何にブレンドするかによって、似ても似つかないものが出来上がるわけです。よく言えばそれが唯一無二のものである…とも言えるわけですが、プロフェッショナルとして悩まれるところは大きいでしょう。
音楽もよく似ています。バッハだろうがベートーヴェンだろうが、一つの曲に楽譜は一つしかありません。それをどう読み解きどう音に還元するか、そこで演奏家のセンスと力量が問われるわけです。
以前、
「何でクラシックのCDってあんなに沢山あるの?」
と聞かれたことがありました。タワーレコードなんぞに行ってみると、例えばベートーヴェンの《運命》だけでも何十枚もズラ〜っとCDが並んでのはどうしたわけだというのです。
だから、その時私は
「確かに《運命》の楽譜が沢山あるわけではない。みんな同じ楽譜を使って『ジャジャジャジャーン』を弾いているのだけど、例えば指揮者が違うとAさんとBさんとCさんとで『ジャジャジャジャーン』の読み解き方が違うの。」
「だから、《運命》の楽譜を読み解いた人の数だけ《運命》のCDがあることになるわけ。そして、聞く人は『どのジャジャジャジャーンが好きか』を選べばいいんだよ。」
と言いました。これが正しいかどうかは分かりませんが、その時の相手には何となく分かってもらえたようでした。
正解がないものを追求するということは、とても大変なことです。美味しいアイスコーヒーを飲み比べながら、そんなことを考えされた一日でした。