今日は暑い中、上野の東京文化会館資料室まで調べものをしに出かけました。本当はこの暑い最中に都内になんぞ行きたくなかったのですが、必要に迫られたので仕方ありません…。
閉館時間ギリギリまで資料室に籠もっていたら、外に出た頃にはすっかり暮色が広がっていました。やはり夏至から一月も経つと、夕方になるのが少しずつですが早くなってきているようです。
今日は金曜日ということで、上野公園の各博物館や美術館が19時まで開館時間を延長していました。なので、ちょうど東京文化会館の真向かいにある国立西洋美術館の前庭のロダンを観賞していくことにしました。
ロダンといえば、何はなくとも
『考える人』です。こちらでは外の通りからも見える一番目立つところに設置されています。
ところで、なんで東京・上野にロダンの彫刻があるのか…ひょっとしたらレプリカなんじゃないか…と思われる方もおいでかと思います。しかし、台座のキャプションを見ると
オーギュスト・ロダン(1840年-1917年)
考える人(拡大作)
1881-82年(原型)
1902-03年(拡大)
1926年(鋳造)
とあります。
「1917年に亡くなったロダンのブロンズ像を1926年に鋳造ってどういうことだ?レプリカじゃないの?」
と思われるかも知れませんが、ブロンズ像というものは型さえあれば作者が他界していても鋳造できるのです。
ブロンズ像ができるまでには
●粘土などで元になる像を作る
●石膏などで型をとり、原型を作る
●さらに原型から型をとって鋳型を作る
●溶かしたブロンズを流し込んで固める
といった段階があります。そしてもちろん一人の作家が全工程を手がけるわけではなく、最初の像を作った後は専門の職人の仕事になります。
作者の死後に完成した像が「元の像を作った作者の作品」になるのは、何だか不思議な気もします。しかし、例えば葛飾北斎や歌川広重の浮世絵も、彼らが原画を描いた後は彫り師や摺り師といった専門の職人たちの扱いになるのに、完成作品には北斎や広重の名前がつくのと同じ…といえばいいでしょうか。
そして、キャプションにあった『拡大』という文言ですが、これにもちゃんとした理由があります。『考える人』の庭を挟んで反対側に
同じくロダン作の『地獄の門』という巨大な作品がありますが、
この門の扉の上をよく見てみると
なんと『考える人』がいるのです。
これこそが『考える人』のオリジナルであり、単体の『考える人』はここから抜き出されて正に『拡大』されたものなのです。そう考えると、なかなか面白いものだなと思います。
国立西洋美術館には、この他にも
同じくロダンの『カレーの市民』や
エミール=アントワーヌ・ブールデルの『弓を引くヘラクレス』といった、様々なブロンズ像があります。こうした作品を間近で観賞できるということは、やはり嬉しものです。
本当はもう少し観ていたかったのですが、日が落ちても止まぬ東京の暑さにあてられてスゴスゴと帰ってきました。やはり、夏にそうそう都内になんぞ出てくるものではありません…。