共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はリストの誕生日〜パイプオルガンによる《B-A-C-Hの名による幻想曲とフーガ》

2021年10月22日 19時25分45秒 | 音楽
今日は一気に師走並みの寒さとなりました。慌てて長袖シャツを引っ張り出したはいいものの、さしもの暑がりの私でも震えがくるほどでした。

ところで今日10月22日はリストの誕生日です。



フランツ・リスト(1811〜1886)はハンガリー王国出身で、現在のドイツやオーストリア、フランスなどヨーロッパ各地で活動したピアニストであり作曲家です。

父親の手引きにより幼少時から音楽に才能を現し、10歳になる前にすでに公開演奏会を行っていたリストは1822年にウィーンに移住し、ウィーン音楽院でアントニオ・サリエリ(1750〜1825)やカール・ツェルニー(1791〜1857)に師事しました。1823年にウィーンでコンサートを開いた時には晩年のベートーヴェンに会うことができ、その技術と音楽性の高さを賞賛されています。

ピアニストとしては、その端麗な容姿も相俟って当時のアイドル的存在でもあり、



コンサートにつめかけた女性ファンの失神が続出したとの逸話も残っています。また多くの女性と恋愛関係を結んだことで知られていますが、特にマリー・ダグー伯爵夫人と恋に落ちたリストは1835年にスイスへ逃避行の後に約10年間の同棲生活を送り、3人の子宝にも恵まれました(因みにその内の1人が後に指揮者ハンス・フォン・ビューローの、更にリヒャルト・ワーグナーの妻となるコージマです)。

ピアニストとしては演奏活動のみならず教育活動においてもピアニズムの発展に貢献し、ブラームスらの作品の初演を指揮したハンス・フォン・ビューローをはじめとする多くの弟子を育成しました。また、作曲家としては新ドイツ楽派の旗手として、また『交響詩』という新たなジャンルの創始者としても知られています。

さて折角のリストの誕生日ですが、ここでお馴染みの《愛の夢》やら《超絶技巧練習曲》などを紹介しても面白くないので、今回はリストのオルガン曲を紹介したいと思います。それが《バッハの名による幻想曲とフーガ》です。

この《バッハの名による幻想曲とフーガ》は1855年から1856年にかけて、オルガン版とピアノ版の初稿が同時期に書かれました。作曲された当初は《前奏曲とフーガ》とだけ題されていましたが、その後改訂が施されてオルガン版とピアノ版の第2稿がほぼ同時に成立しました。

作曲の直接のきっかけは、1855年にメルゼブルク大聖堂のオルガンの落成式で演奏されるために依頼を受けたことによります。しかし落成式までに作曲が間に合わず、実際には翌1856年にオルガニストのアレクサンダー・ヴィンターベルガーによって初演され、曲も彼に献呈されました。

『バッハの名による』とはどういうことかというと、バッハの名前のドイツ語での綴りであるBACHという表記が、

B=シ♭
A=ラ
C=ド
H=シ

というドイツ語の音名に置き換えることができることを利用したものです。バッハ自身も絶筆となった《フーガの技法》の中で、このB-A-C-H音形を使ったフーガを作っています。

リストは以前からバッハの芸術に関心を示していて、1840年代にはバッハのオルガン作品の編曲も行っています。この作品はバッハの名前の表記を主題として扱っていることから大バッハへのオマージュであることは明らかですが、その一方で新ドイツ楽派の旗手であったリストらしい前衛的な響きも聴くことができます。

そんなわけで、リストの誕生日である今日は彼の珍しいオルガン作品を、日本人オルガニスト冨田一樹さんの演奏でどうぞ。




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