共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はモーリス・ラヴェルの誕生日〜ハープ競争に決着をつけた《序奏とアレグロ》

2022年03月07日 17時17分17秒 | 音楽
三寒四温とはよく言ったもので、春一番が吹いた後の昨今は風の冷たい一日となりました。こんな日は、温かなコーヒーが恋しくなるものです。

ところで、今日3月7日は作曲家ラヴェルの誕生日です。



バレエ《ボレロ》や、ムソルグスキー作曲のピアノ曲をオーケストラアレンジした《展覧会の絵》など名作に事欠かないモーリス・ラヴェル(1875〜1937)ですが、実はハープの命運をかけた企業対決にも一役買っていることをご存知でしょうか。

古くは古代エジプトや古代ギリシアの時代から使われてきたハープですが、時代が下るにつれて徐々に音楽的要求が高まってきました。それに伴って楽器が大型化していって、音域も拡大されていきました。

ルネサンス期のハープは



今日ゴシックハープと呼ばれているこうしたシンプルなものですが、これだと特定の音階にチューニングしたもの以外への転調が困難です。その後バロック期に入ると半音階にも対応するために



こんな風に弦を3列に張ったトリプルハープという楽器が登場して通奏低音楽器的に活躍していましたが、3列に並んだ弦を的確に見分けて弾かなければならないため、メロディ楽器として使うには技術的にも音量的にもまだまだハードルの高いものでした。

その後18世紀後半になると、機械技術が発達したことによって



今日見られるようなペダルのついたハープが開発されました。写真のハープはジャン=アンリ・ナーデルマンによって1770年頃に作られたもので、かつてフランス王妃マリー・アントワネットがこのナーデルマンハープを愛奏していたことでも知られ、モーツァルトが作曲した《フルートとハープのための協奏曲 ハ長調》の初演時でも、このタイプのハープが使われていました。

一見これで技術的問題を解決したように見えますが、実はこのペダルはシングルアクションといって各弦の音を半音上げることはできるのですが、半音下げることはまだできないものでした。そうなると、時代が更に進んで音楽的要求が高まった時には、残念ながらまだまだ性能に限界があると言わざるを得ません。

先程のナーデルマンのシングルアクションペダルハープから40年程経った1811年に、フランスのセバスチャン・エラールが



現在のペダル・ハープの原型となるダブルアクションペダルハープを発表しました。開発のきっかけは、転調や臨時記号への対応力の低さという制約からハープという楽器の将来に危機感を持っていたハーピストのクルムフォルツが、フランス革命の混乱からロンドンに逃れてきていたエラールに相談を持ちかけてきたことにありました。

ダブルアクションペダルには



こんな感じで各音に2段階に音高を切り替えられるペダルがついています。写真では全ての音がフラット♭の状態で、中段に踏み込むとナチュラル♮(ピアノの白鍵盤)に、下段に踏み込むとシャープ♯に変わります。

このダブルアクションペダルハープを設計中のエラールの仕事ぶりは、常軌を逸したような様子だったといいます。伝わるところによるとエラールは3ヶ月もの間入浴はおろか肌着も着替えず、食事も筆記具を持ったままの立ち食いで、まるで狂気か熱病にとり憑かれたかのように設計図の散乱した中で仮眠をとるだけだったといいます。

このハープの完成によって、あらゆる調性の演奏が可能になりました。また1オクターブの中の12音のうちの9つの異名同音(ド#=レ♭のような音)が演奏可能となる副産物を生み出し、これによってハープ独特の奏法であるグリッサンドの演奏が可能となりました。

エラール社のハープは急速にヨーロッパ中に広まりましたが、それでもペダルハープはまだ近代音楽の複雑な和音や大胆な転調に対応できていないという不満の声も聞かれていました。その声に応えたのがエラール社のライバルであるピアノメーカー、プレイエル社の社長ギュスターヴ・リヨンでした。

リヨンは1896年に



ペダルに頼らずに演奏すべくピアノでいう白鍵と黒鍵にあたる弦を分けて



X字状にクロスさせたクロマチックハープ(クロスストラングハープ)を発表しました。このクロマチックハープは更に進化して、



こんなダブルネック状の巨大なものまで登場しました。

そしてプレイエル社は、1900年にこのクロマチックハープを導入したブリュッセル音楽院のコンクール用の作品を



印象派を代表する作曲家クロード・ドビュッシー(1862〜1918)に依頼し、ドビュッシーはそれに応えてハープと弦楽合奏のための《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》を作曲しました。これに対抗してエラール社はラヴェルにダブルアクションペダルハープのための作品を依頼し、ラヴェルはそれに応えてハープとフルート・クラリネット・弦楽四重奏のための《序奏とアレグロ》を発表しました。

その後しばらくは両者共存の状態が続きましたが、プレイエルのクロマチックハープは楽器の重さと音量に難点があり、ハープ特有の奏法であるグリッサンドもハ長調(ピアノの白鍵盤のみ)しか弾けないという欠点もありました。また、クロマチックハープのために作曲されたドビュッシーの曲はペダルハープでも演奏可能なのに対し、ペダルハープのために作曲されたラヴェルの曲はクロマチックハープでは演奏できないのです。

こうした汎用性の違いからクロマチックハープは徐々に見られなくなり、1936年にギュスターヴ・リヨンが他界したのと共に遂に姿を消してしまったのでした。現在世界中で一般的に見られるグランドハープはエラール社のダブルアクションペダルハープに改良を加えて、音量面の問題を解決したものが使われています。

現在では当たり前のように聴いているダブルアクションペダルハープですが、もしエラールではなくプレイエルのクロマチックハープが生き残っていたら、世界のクラシック音楽界はどうなっていたのでしょうか。今となっては、窺い知る余地もありません。

そんなわけでラヴェルの誕生日である今日は、エラール社をハープ競争の勝者に導いた《序奏とアレグロ》をお聴きいただきたいと思います。クロマチックハープでは演奏することのできなかった、ダブルアクションペダルハープならではの転調とグリッサンドを御堪能ください。




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