毎回同じようなことばかり書いて恐縮ですが、今日もものすごい酷暑となりました。湿度が低めだったため多少どうにかなったものの、外に長時間は絶対にいられません…。
それでも週明けに立秋を迎えることもあってかヒグラシの鳴き声も聞こえるようになっていましたが、日が落ちても気温はなかなか下がりません。こういう時には、今年から始めた『耳から涼しくなるシリーズ』を書いてみようと思います。
今日とり上げるのは、ボロディンの《弦楽四重奏曲第2番ニ長調》です。
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アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(1833〜1887)は帝政ロシアの作曲家で、化学者、医師でもありました。ロシア音楽の作曲に打ちこんだ『ロシア5人組』の一人としても知られています。
ボロディンは1833年、ロシア帝国のサンクトペテルブルクに生まれました。しかしボロディンは非嫡出子であったため、父のゲデヴァニシヴィリはボロディンの戸籍登録を行わず、農奴であったポリフィリ・ボロディンに息子を預けます。
それでもボロディン自身は苦労することなく育ち、幼い頃からピアノやフルート、チェロなどを楽しむ少年でした。また、音楽と同じく化学にも強い関心を抱き、後年化学の分野でも大きな功績を残すことになりました。
頭脳明晰だったボロディンはサンクトペテルブルクの医学部へ進学し、最優秀の成績を収めていたといいます。医学部を卒業後は陸軍の病院へ勤め、その後ヨーロッパへと長期研修に出向きます。
スイス、フランス、イタリアなどで研修したボロディンは26歳の頃にドイツのハイデルベルク大学に入学し、元素周期表で有名なメンデレーエフに師事しさらに学問を続ける中、のちに「ロシア5人組」として合流するムソルグスキーに出会っていたといいます。また、この頃ボロディンは結核に罹患してサナトリウムに入りましたが、そこでエカテリーナと出会い結婚しました。
留学から帰ったボロディンはサンクトペテルベルク医学部の研究員として迎えられ、やがて教授に昇進し、ロシアの医学や化学の発展に奔走しました。
そんなボロディンの作品の中から、今日は《弦楽四重奏曲 第2番 ニ長調》をご紹介したいと思います。
ボロディンの《弦楽四重奏曲 第2番 ニ長調》は、1881年にジトヴォで作曲、1882年に初演されたとされる作品です。ボロディンが妻に愛を告白した20周年の記念としてエカテリーナ・ボロディナ(作曲家夫人)に献呈されたこの弦楽四重奏曲は、ボロディンの、そして19世紀ロシア帝国を代表する室内楽のひとつです。
第1楽章はアレグロ・モデラート、ニ長調
のソナタ形式。第2ヴァイオリンとヴィオラが支える和音の上に、チェロが爽やかな印象の第1主題を奏でます。第2主題は呈示部で嬰ヘ短調で登場しますが、再現部では半音低いヘ長調で再登場するという、ちょっとトリッキーなところもあります。
第2楽章のアレグロはスケルツォ、ヘ長調のソナタ形式。スケルツォとはいいながらも古風なメヌエット風の曲想も持っていて、第2主題が属調で呈示されるところもかなり古典的です。
第3楽章はアンダンテ、イ長調。ノクターン(夜想曲、ノットゥルノ)とも呼ばれて単独で演奏されることもある名曲で、モーツァルトの室内楽によく見られたように三部形式とソナタ形式、変奏曲形式が折衷されたものとなっています。
第4楽章のフィナーレはアンダンテ〜ヴィヴァーチェのニ長調。アンダンテの導入部における2つのヴァイオリンによる問いとヴィオラとチェロによる応えが発端となって、ソナタ形式によるヴィヴァーチェの主部に発展していきます。
そんなわけで、今日はボロディンの《弦楽四重奏曲 第2番 ニ長調》をお聴きいただきたいと思います。作曲家の名前を冠したボロディン弦楽四重奏団の演奏で、ボロディンが愛する妻に捧げた美しい音楽をお楽しみください。