共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はパウル・ヒンデミットの誕生日〜愛妻に捧げた《木管楽器とハープのための協奏曲》

2021年11月16日 18時35分20秒 | 音楽
今日も小学校支援級では様々な事件がありました。ただ、その多くが子どもたちの自分本位な我儘なので、一つ一つを拾い上げ過ぎないようにしないと、こちらの身が持ちません(汗)。

ところで今日は、パウル・ヒンデミットの誕生日です。



パウル・ヒンデミット(1895〜1963)はドイツ・ハーナウ出身の作曲家、指揮者で



ヴィオラ奏者としても活躍していました。その他にもヴァイオリン、クラリネット、ピアノなど様々な楽器を弾きこなす多才な演奏家だったそうです。

ヒンデミットは第一次世界大戦後、ロマン派音楽からの脱却を目指して新即物主義を推進し、20世紀ドイツを代表する作曲家として同時代の音楽家に強い影響を与えました。また生涯に600曲以上を作曲し、交響曲やオペラばかりではなく、オーケストラを構成するほぼすべての楽器のためのソナタを作曲しました。

1934年当時、ドイツの新進気鋭の作曲家だったヒンデミットの代表作の一つ《画家マティス》は、世界有数の名門ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場の音楽監督の地位にあったヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)によって初演されて大成功を収めました。しかし、ナチスの強力な一党支配の下で後に『ヒンデミット事件』と呼ばれる政治的な音楽家排斥事件が起き、ヒトラーの独断的見解によって当時の気鋭の作曲家たるヒンデミットを「無調の騒音製造者」であるとする攻撃的講演会が行われ、これを受けてドイツ国内のナチス寄りの新聞は一斉にヒンデミットを批判し始めました。

このことによってヒンデミットは当時就任していた帝室音楽院の顧問を辞し、音楽大学の教授職を休職した上でドイツから離れてスイスへ移住することとなりました。その後は度々アメリカを訪れ、作曲の講演会を開いたりヴィオラ独奏者としての演奏活動を行ったりして、1940~53年まで米国コネティカット州にあるイェール大学で作曲科主任教授を務めました。

私も何度かヒンデミットの作品を演奏したことがありますが、その中でもとりわけ印象深いのが《木管楽器とハープのための協奏曲》です。

《木管楽器とハープのための協奏曲》は、アメリカ・コロンビア大学アリス・ディットソン基金の委嘱によって1949年に書かれ、同年5月15日にニューヨークで初演されました。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットの4種の木管楽器とハープというソリスト群、そして金管楽器群と弦楽合奏というユニークな編成となっています。

この曲は全3楽章からなり、金管楽器群と弦楽合奏とによる勇壮なトゥッティと木管楽器4本とハープという室内楽的なソリスト群とのやり取りが魅力となっています。特に終楽章ではメンデルスゾーン作曲の《夏の夜の夢》の中の『結婚行進曲』のメロディがクラリネットで通奏されますが、これはコロンビア大学のディットソン基金の創設者だったアリス夫人との銀婚式を記念して、サプライズで曲の中に取り入れたものとされています。

知っているメロディのため、終楽章を聴いているとどうしてもクラリネットの『結婚行進曲』に耳が行きがちになりますが、そればかり聴いてしまっては折角のヒンデミット作品としての真価は感じられません。なので、終楽章になったらなるべくクラリネット以外のメロディラインを聴くように集中してみていただきたいと思います。

そんなわけで、今日はヒンデミットの愛に満ちた《木管楽器とハープのための協奏曲》をお楽しみいただきたいと思います。先程も言いましたが、終楽章のクラリネットのメロディラインに惑わされないようにして、あくまでもヒンデミット作品としての魅力を御堪能ください(笑)。




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