共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

ひっそりと

2012年08月22日 15時50分45秒 | 日記
御社まで登りました。御覧の通り小さな御社です。

この御社には歴史的な謂われがありました。かつて源頼朝がこの辺りで狩を催した時、曾我五郎・十郎の兄弟が、父の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を討ち取りました。この物語は歌舞伎の演目の中で取り上げられて《曾我物》と呼ばれていて、《寿曾我対面》(ことぶきそがのたいめん)や《助六由縁江戸櫻》(すけろくゆかりのえどざくら)という、今日でも人気の高い演目にもなっています。

その時、曾我兄弟の姉の花月尼が本懐成就を浅間神社に祈念していて、その御礼に御社を建てたのが始まりだそうです。

因みに、吾妻山を町役場方向に降りた先にある《知足寺》というお寺には曾我五郎・十郎兄弟のお墓があり、今でも時折歌舞伎役者がお参りに来るそうです。
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もう一つ

2012年08月22日 15時31分10秒 | 日記
吾妻神社から4~5分程歩いたところにある《浅間神社》です。

浅間神社というと木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を御祭神とする富士山信仰の神社として、富士山頂にあるものを始めとして各所に有名な御社がありますが、ここにもささやかな御社がありました。

御社への参道にある石鳥居です。山登りですっかり疲れていますが、ここまで来たからには参詣しようと思います。
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隠れたパワースポット

2012年08月21日 22時30分45秒 | 日記
社殿まで来ました。

吾妻神社の創建は第12代・景行天皇の御代と伝わります。景行天皇の皇子である日本武尊(やまとたけるのみこと)が海路で上総國(現在の千葉県)に向かったところ、海の神の怒りをかって嵐になってしまいました。その時、同乗していた日本武尊の妃・弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が、海神の怒りを鎮めるために舟から入水し、波浪を鎮められたという伝説があります。

後に、この辺りの海岸に弟橘媛命の櫛が流れ着き、その櫛を埋めて御陵を造ったところから、この辺りの土地のことを『埋澤(うめざわ)』と呼ぶようになり、後にそれが転じて『梅沢』という地区名になったのだそうです。

無事に上総の平定を終えて再びここを舟で通り掛かった時、日本武尊は「ああ、吾が妻」と号泣されたそうです。それが『吾妻山』というこのお山の名前の由来だそうです。また、入水した弟橘媛命の小袖がこの辺りの浜辺に漂着し、これも山頂にお祀りしたことから、その海岸を『袖ヶ浦海岸』と呼ぶようになりました。

我が身を挺して愛する夫の危機を救った弟橘媛命の遺徳を偲んで創建されたこの御社は、その一途な愛の物語故に、恋愛の神様、縁結びの神様として尊崇されているそうです。山登りは結構キツいε=(*。*;)ですが、弟橘媛命の遺徳に肖りたい方は、一度訪れてみては如何でしょうか。
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二の鳥居

2012年08月21日 19時45分31秒 | 日記
一の鳥居をくぐって、東海道線を跨ぐ歩道橋を渡ると、細い登山口があります。ここから吾妻山山頂を目指して、スイッチバック式の参道をひたすら登ります。

蜩混じりの蝉時雨の中登り続けると、この二の鳥居が見えて来ます。御社まで、もうすぐです。
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吾妻神社

2012年08月21日 18時52分09秒 | 日記
火曜日、二宮町に来ました。

先週、相模國二之宮である川匂神社(かわわじんじゃ)に参詣しましたが、実はそれとは別にもう一つ古社があります。それが、町のシンボル的存在の吾妻山の山頂にある《吾妻神社》(あづまじんじゃ)です。

二宮駅から国道1号線を国府津方面に進んだところに、この一の鳥居があります。ここから山頂を目指します。
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お疲れ様です

2012年08月21日 13時56分30秒 | 日記
只今の厚木市の気温は35℃でございます…ε~(*。*;)。

そんな暑さの中、駅前のビジョンに時ならぬ人だかりが出来ていました。何だろう?と思っていたら、ビジョンの画面一杯に、どこやらで見たような女性が写っていたのです。

なんと今日、厚木の市民文化会館で、先のオリンピックで銀メダルを獲得したなでしこジャパンの大儀見侑季選手の祝賀会が行われていたのです。大儀見選手は厚木市出身らしく、今も御主人と近隣の秦野市に在住しています。

とりあえずビジョンに近寄れる限界まで近づいて写真を撮ってみました。何しろ前にタクシーのロータリーがデ~ンと幅をきかせているので、これが精一杯なのです…。画面に映る大儀見選手は、市長の長ったらしい挨拶を聞きながら、何だか疲れた表情にも見えました。そりゃあそうでしょう。日本に帰ってきてから一週間以上経っても、未だに取材やら表彰式やらであちこちに出掛けなければならないのですから。昨日だって銀座のパレードがあったばかりですし…。

かつてアトランタオリンピックで、当時14歳だった岩崎恭子さんが金メダルを獲得した時、帰りの飛行機の中で体操の池谷幸雄君から「帰ったら人生変わってんで~」と言われたそうです。最初は何のことだかあまりよく分かっていなかったそうですが、連日の取材攻勢が学校にまで及んだ時に、初めて言われた言葉の意味を知った…と語っていたことがありました。

日本人の悪いクセで、スポーツ選手でもお笑い芸人でも、一躍『時の人』となった人を擦り減るまで追いかけ回して、騒ぐのに飽きたらパタッ!と見向きもしなくなるという傾向があります。これだけ大騒ぎするのであれば、ついでに今後の育成貢献としていくらかでも寄附くらいしてあげれば、もっと選手達も喜ぶのに…と、こういう国をあげて浮かれている時に、一人冷静に世の中を見つめてしまうのでありました…。
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暑さにめげず…

2012年08月20日 18時12分36秒 | 日記
今日開催されたオリンピックメダリストのパレード時の銀座の気温は32度だったそうです。こんな日が、あとどのくらい続くのでしょうか…。

そんな茹だるような気温の中、小田原まで来ました。教室の近くのお宅の塀越しに、ムクゲの花が顔を出していました。夏に咲き誇るこの花も、そろそろ終盤戦といったところでしょうか。

余談ですが、ある花屋さんの店頭にムクゲの鉢植えが置いてありました。そしてそのすぐ横にハイビスカスの鉢植えが置いてありました。花の形状はよく似ていますが、全体的な華やかさにかけては、ムクゲの方がどう見ても分が悪いのです。その有様をしみじみと眺めて「…何とも罪な並べ方されちゃったな」と思ってしまったのでした…。
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シンプル

2012年08月19日 16時21分03秒 | 日記
アイリッシュハープの楽器上部をアップで撮ってみました。ここには半音を調節する変音装置がついています。

グランドハープの場合には足元に変音ペダルがあって、それを踏み変えることで多様な音階を演奏しますが、アイリッシュハープの場合には、このレバーを必要に応じて手で上げ下げして調節します。なので、あまり複雑な曲中の転調には対応しきれませんし、演奏できる調性も#♭それぞれ3個ずつくらいが限度です。

でも、その限られた大きさと音域ならではの素朴さは、かなり魅力的です。来月にもコンサート開催が決まったようですので、詳細はなよたけHPを御覧下さい。

《ぎゃらりー喫茶なよたけ》HP
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楽器写

2012年08月19日 16時01分38秒 | 日記
折角なので、演奏後に楽器の写真を撮らせて頂きました。本来は単独で弾くことよりも、その昔に吟遊詩人が歌う時の伴奏として使うことの多かったものです。

グランドハープは弦が47本もありますが、アイリッシュハープは22本と、半分以下の本数です。重さも4kgほどで、女性でもある程度楽に持ち運びが出来ます。
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清涼

2012年08月19日 15時51分56秒 | 日記
神社参りでアウトドアが続いたので、今日はインドアなイベントに来ました。毎度お馴染み、厚木の《ぎゃらりー喫茶なよたけ》です。

今日はここで、ハープのコンサートがありました。ハープと言っても、オーケストラの中にあるようなグランドハープではなく、小型のアイリッシュハープ(アイルランドハープ)のコンサートです。

《アニーローリー》や《スカボロフェア》と言ったアイリッシュハープならではのものから《浜辺の歌》まで、様々な曲が演奏されました。外の暑さを忘れさせる、清涼感に満ちたひと時でした。
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御神輿

2012年08月18日 14時50分13秒 | 日記
六所神社の御神輿です。さすがに《総社》の名を戴く御社だけあって、豪奢な御神輿です。他の五社の御神輿と一緒に、5月5日の《国府祭》(こうのまち)の時に、この近くの大矢場斎場まで渡御されます。

今回、それぞれが厚木から比較的行きやすい場所にあったため、奈良・平安の古から続く相模國の主要神社を巡ることが出来ました。当ブログの『相模國一之宮・玄関口』から順に御覧頂くと、皆様方にも『相模國国府祭六社巡り』のバーチャルパワースポット巡りをして頂けます(笑)。

六所神社HP
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本殿

2012年08月18日 14時30分24秒 | 日記
参道を進み、本殿の前まで来ました。

ここに一之宮・寒川神社、二之宮・川匂神社、三之宮・比々田神社、四之宮・前鳥神社、一國一社八幡・平塚八幡宮の御分霊を合祀し、国府鎮座の総社として《相模國総社六所神社》となりました。以降、相模國の新任国司の巡拝は、ここで行われてきたわけです。

この本殿と石垣は小田原北条家に寄って造営されたもので、五間社(約9m)もの大きさを誇ります。関東大震災で、この辺りの数々の御社が倒壊しましたが、この御社と石垣はその大災害を耐え抜き、今日にその偉容を伝えています。
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境内

2012年08月18日 14時24分25秒 | 日記
この御社は崇神天皇の御代、櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)を守護神として創建され、当時は《柳田大神》と称したそうです。

あまりちゃんと写っていませんが、境内の参道の両脇には一対の池があります。この池は御守護神である櫛稲田姫命の御姿映し(鏡)の池と伝えられています。
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畏敬

2012年08月18日 14時15分55秒 | 日記
先程の鳥居を抜けて、東海道線の線路をくぐるアンダーパスを抜けた先に、目指す御社があります。

その手前の参道の両側に、2本の大きなケヤキが立っています。樹齢数百年と推定され、幹周りは5mあるということです。

御覧頂くと分かる通り、注め繩のはられたケヤキの木を避けるようにして道が整備されています。こういうことが大事にできるところは素晴らしいですね。
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相模國総社

2012年08月18日 13時56分25秒 | 日記
一之宮から八幡宮までの五社を参詣しましたが、これに加えてもう一社お参りに来ました。大磯町にある《六所神社》(ろくしょじんじゃ)です。

大化の改新(乙巳の変)以降、律令制度の整備に伴って地方には国々が再編成され、各国に中央から国司が派遣されました。国司は何年か毎に交代し、新たに赴任した国司は任国に着くと、先ず最初に『巡拝』と称して、その国の有力大社を参拝して回る制度がありました。

しかし、国司の参拝には大変な日数と人数、それに伴う莫大な費用が必要で、この一連の行事が大きな経済的負担となっていました。そこで後に、各国の国府の近くに神社を建てて、そこに巡拝する神社の御分霊を合祀して遥拝することになりました。この神社を《総社》と呼びます。

バスに乗って御社に向かっている最中ものすごい豪雨に見舞われて、はたして無事に行き着けるかどうか不安でしたが、遅れ気味ながらも何とか無事に到着したのでありました…ε~(-。-;)
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