東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

清洲橋から両国橋まで

2016-06-28 | 散歩
  この日は日曜日だったのでちょっとだけ時間がある、
  このまま浅草・吾妻橋まで歩いちゃおうかな。
  この前は確か2時間ばかりで歩いた、
  寄り道しないで歩けば1時間半で歩けるだろう。


  

     清洲橋(きよすばし)
     清洲橋は当時ドイツのケルンにあったヒンデンブルグ橋をモデルに造られました。
     「清洲」という名称は公募で建設当時の両岸である深川区清住町と日本橋区中洲町から採られた名前。
     一つ下流の永代橋とはその曲線構造が対になっていて、男性的な永代橋に対して
     清洲橋は女性的なイメージが強いようです。




  

     新大橋(しんおおはし)
     新大橋は1693年12月、現在地よりやや下流に初めて木の橋が架けられた。
     両国橋が1659年に架けられて「大橋」と呼ばれていたので、
     その下流に新しく架けられたこの橋を「新大橋」と呼びました。

     清洲橋と新大橋の中間くらい、深川に芭蕉庵があります。
     新大橋の工事中に見に行った芭蕉は、
     「初雪や かけかゝりたる橋の上 有り難やいたゞいて踏む 橋の霜」と詠んだ。


     そしてそのあと清洲橋から舟で隅田川をさかのぼり千住大橋で下りたあと、
     先日歩いた日光街道、奥州街道をみちのくへと向かいました。




  

     行き交う遊覧船
     隅田川では引っきりなしに遊覧船が行き交っています、
     これは「竜馬」ですね、東京湾へ向かうところです。




  

     両国橋(りょうごくばし)
     武蔵国と下総国を繋いだことから両国橋と呼ばれた、今は京葉道路が走る。
     江戸一番の大火であった明暦の振袖火事では橋がなくて逃げられずに、
     多数の死者が出た。そのため、大火のあとこの橋が架けられた。
     橋のたもとにある回向院は、その人々を弔うために建てられた。




  

     柳橋(やなぎばし)は、神田川にかかる橋
     両国橋のすぐ上流、神田川が隅田川に流れ込みます。

     1842年江戸市中の岡場所が禁止され深川から多くの芸者が柳橋に移る、
     俗にいう辰巳芸者の気風(きっぷ)のよさをを引き継いで人気があった。
     また柳橋には舟宿が多く猪牙舟(ちょき)でここから吉原を目指した人も多かった。




  

     東京水辺ラインの「あじさい」
     いいね、のんびりと上り下りの船でも見ていたい。
     左はJR総武線鉄橋。




  

     国技館
     両国橋のちょっと上流を護岸の上に上がってみると国技館、
     ちょうど夏場所が開かれていたのでお客さんの姿もたくさん見られました。




   

     このあたりフェンスには相撲の決まり手の透かし彫りが取り付けられている、
     48手というけど見ながら歩いていると時間を忘れます。


     足が大分痛くなってきた、
     あろうことか新しいスニーカーを履いてきた。
     履いた時はわりと緩いなと感じたんだけど
     すでに3時間歩いている、もうちょっとだ頑張ろう!。
                                                               5月8日 隅田川テラス
         

コメント (2)
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