東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

六月(ろくがつ)八幡神社

2024-08-04 | 風景

  炎天寺の隣には境界もなく
  六月八幡神社があります。
  源頼義ゆかりの八幡神社は
  古奥州街道の昔を偲ばせます。

 

   1056年、炎天続きの旧暦の6月、奥州征伐の途中源頼義・義家父子は
   この地で野武士と戦い苦戦、京の八幡宮に祈念し辛くも勝利した。
   義家は八幡宮を建立、村の名を六月(ろくがつ)、寺の名を炎天下の勝利にちなんで
   炎天寺とした、形ばかりの垣根を挟んで八幡宮と炎天寺は並んでいる。

 

 

   天嘉四年(1056)炎天続きの旧暦六月奥州の安倍一族の反乱を鎮定に従く源頼義、
   八幡太郎義家父子のひきいる軍勢が野武士と激しく戦いきわめて苦戦となったが、
   京の岩清水の八幡宮に祈念し、ようやく勝利を得ることができた。

 

 

   境内にある狛犬もすっかり苔むして
   その頃からの歴史を語っている。

 

 

   八幡様の拝殿、まず何かがなければ人は訪れないだろう。
   賑やかな蝉しぐれの中にひっそりと佇んだいる。

 

 

   本殿。さらにひっそりとし裏には早くも落ち葉が積もっていた。

 

 

   八幡様から見た炎天寺、
   福蛙が小さなカエルを背中に乗せまるで狛犬みたいだ。
   このように両者を隔てるものは何もない。

 

 

   義家軍の白旗(幡)を立て掛けた松の木「旗掛けの松」があり、
   神社入口に今も植え継がれている。

 

 

   帰り道になるけどちょっと行ったところに石碑が立っている、
   「是より左 旧奥州街道」と。
   この道を奥州平定に向かったのだろう。

 

 

   石碑の側面には後年頼朝が往来したと刻まれている。

   またこの近くには東京都指定の史跡文化財である
   白旗塚古墳が保存されています。
   源頼義・義家親子が奥州反乱の鎮圧に向かう途中でこの地に寄り、
   この塚に源氏の白旗を立てたことから
   白旗塚と呼ぶようになったと言われています。

 

        data:PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 7月24日 足立区・六月八幡神社

        

コメント
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