じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

教育会史

2019-06-09 18:24:57 | Weblog

★ 1872年(明治5年)の「学制」発布から始まった日本の近代公教育。教育行財政の整備、学校設立、教員養成、社会(通俗)教育など当時の人々は一気に直面する難題に創造的に挑んでいた。

★ 梶山雅史編著「近代日本教育会史研究」(学術出版会、2007年)から序章「教育会研究へのいざない」(梶山雅史)を読んだ。

★ 官主導ではあったが、その諮問機関として役割を果たした教育会。明治初期から太平洋戦争後そのほとんどが解散するまでの経緯が多くの史料で裏付けられながらまとめられていた。

★ 積極的に地方の教育の興隆に努めた黎明期。自由民権運動の活発化とともに官による締め付けが厳しくなった時代。日露戦争後、地方改良運動、行政範囲の拡大の中で、性格が変化していく郡教育会。昭和初期には国民思想が統制され、その教化の役割を担う。

★ 私は学生時代、京都府立資料館に所蔵してある教育会の史料(主に「京都教育会雑誌」)を調べたことがある。明治14年からの貴重な記録を読むことができた。

★ 大正9年に作成された「京都府教育会沿革」にはその第壱編として教育会発足時から現在(大正9年)までの沿革が1年ごとに記されている。全体は4期に分けられ、第1期は創設時から明治21年まで、第2期は明治21年から37年まで、第3期は明治37年から大正4年まで、第4期は大正4年から現在となっている。

★ 「本會創設」の項には、槇村正直知事が元老院議官として栄転の後、新たに着任した北垣國道知事が、府民の柔弱因循を遺憾とし、言論の自由のため教育團體組織の必要を感じ、設立の趣意書を発表、同志を募ったとしている。そして明治14年5月6日、京都迎賓館に260余名が集まって発会式を開いたという。

★ 140年近く前の話だが、何か懐かしさを感じる。

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トマスの公理

2019-06-09 00:01:28 | Weblog
★ 大澤真幸著「社会学史」(講談社現代新書)はデュルケム、マックス・ヴェーバーを経て、アメリカの社会学の章へと入ってきた。

★ 第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、政治的にも経済的にも文化的にも、その中心はヨーロッパからアメリカに移ったという。その一因がファシズムから逃れるために、ヨーロッパの知識人がアメリカに亡命したということ、なるほどなぁと思った。

★ アメリカの社会学の古典を紹介する中で、トマスの公理(定理)というのが出てきた。ウィリアム・アイザック・トマスによる「人がある状況を現実として定義すると、その状況はその結果として現実となる」(373頁)というもの。

★ 門外漢には痒いところに手の届かないようなものだが、この公理を発展させたマートンの「予言の自己成就」は何となくわかるような気がした。

★ 銀行が破綻するという噂を聞きつけ預金を引き出しに走ったら、取り付け騒ぎとなり実際に銀行が破綻したという例。

★ 1927年(昭和2年)3月14日、衆議院予算委員会で片岡直温大蔵大臣は破綻していない東京渡辺銀行を「とうとう破綻してしまいました」と言ってしまった。この発言がもとで取り付け騒ぎが起こり、翌15日から同銀行は休業、他行にも飛び火して金融恐慌を引き起こした。

★ 流言飛語によるパニックはオイルショック時のトイレットペーパー騒動も記憶に残っている。あの時は、トイレットペーパーに限らず醤油や油など日用品が店頭から姿を消した。原因は消費者のパニック買いだった。

★ ヒトラーも案外こういう文脈で政権を手に入れたのかも知れない。ハルマゲドンを予言する新興宗教も・・・。

★ 人間の行動、その集合体であるはずの「社会」には面白いメカニズムがあるようだ。
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