★ 1872年(明治5年)の「学制」発布から始まった日本の近代公教育。教育行財政の整備、学校設立、教員養成、社会(通俗)教育など当時の人々は一気に直面する難題に創造的に挑んでいた。
★ 梶山雅史編著「近代日本教育会史研究」(学術出版会、2007年)から序章「教育会研究へのいざない」(梶山雅史)を読んだ。
★ 官主導ではあったが、その諮問機関として役割を果たした教育会。明治初期から太平洋戦争後そのほとんどが解散するまでの経緯が多くの史料で裏付けられながらまとめられていた。
★ 積極的に地方の教育の興隆に努めた黎明期。自由民権運動の活発化とともに官による締め付けが厳しくなった時代。日露戦争後、地方改良運動、行政範囲の拡大の中で、性格が変化していく郡教育会。昭和初期には国民思想が統制され、その教化の役割を担う。
★ 私は学生時代、京都府立資料館に所蔵してある教育会の史料(主に「京都教育会雑誌」)を調べたことがある。明治14年からの貴重な記録を読むことができた。
★ 大正9年に作成された「京都府教育会沿革」にはその第壱編として教育会発足時から現在(大正9年)までの沿革が1年ごとに記されている。全体は4期に分けられ、第1期は創設時から明治21年まで、第2期は明治21年から37年まで、第3期は明治37年から大正4年まで、第4期は大正4年から現在となっている。
★ 「本會創設」の項には、槇村正直知事が元老院議官として栄転の後、新たに着任した北垣國道知事が、府民の柔弱因循を遺憾とし、言論の自由のため教育團體組織の必要を感じ、設立の趣意書を発表、同志を募ったとしている。そして明治14年5月6日、京都迎賓館に260余名が集まって発会式を開いたという。
★ 140年近く前の話だが、何か懐かしさを感じる。