じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

小島信夫「アメリカン・スクール」

2019-06-21 17:59:06 | Weblog
★ 小島信夫さんの「アメリカン・スクール」(新潮文庫)から表題作を読んだ。

★ 戦後3年がたったある日、日本人の英語教員たちがアメリカン・スクールを訪れる話。歪んだプライドや過度のコンプレックス。そうした当時の感情が登場人物に投影されて描かれている。

★ 出しゃばって外国人と英語で張り合おうとする山田にせよ、常套句しか話せず沈黙を守ろう、隠れようとしてかえって人の目を引く伊佐にせよ、誇張があるとはいえアイデンティティを失った日本人の姿を描いている。

★ 進駐軍の人々が当時の日本人に向けるまなざし、今の日本人がアフリカの難民に向けるまなざしと似ていないか。
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「食堂かたつむり」続き

2019-06-21 12:28:39 | Weblog
★ 小川糸さんの「食堂かたつむり」(ポプラ文庫)を読み終えた。この作品は泣ける。

★ 恋人に逃げられ、やむをえず実家に帰った倫子。反りの合わない母親に詫びを入れ、離れの小屋を借りて「食堂かたつむり」を始めた。1日に1組のお客さん。メニューはお客さんの要望に合わせて一つ一つ手作りした。その甲斐あってか、小さな村では評判になってきた。

★ 「ひっくり返っている団子虫を救出してやるだけでも、私にとっては幸福な出会いだった。鶏の生みたての卵を握って頬っぺたに当てて温もりを感じることも、朝霧で濡れた葉っぱの上にダイヤモンドよりもきれいな水の雫を発見することも、竹林の入り口で見つけたレース編みのコースターのように美しいキヌガサダケをお味噌汁に入れて食べることも、私にはすべてが神様のほっぺたに感謝のキスを贈りたくなるような出来事だった。」(72頁)

★ 倫子の気持ちが伝わってくる。

★ しかしその日は突然やってきた。倫子は「ギロチン」と表現している。母親は30年間思い続けてきた初恋の彼と再会したというのだ。彼は医者になっていた。彼もまた倫子の母親のことを思い続け独身を通していた。そして、彼女ががんにおかされ、余名が数か月であることを告げたのも彼だった。

★ 母親は彼と結婚を決意し、披露宴の料理を倫子に頼む。母親の最期の願いは、家族同然に暮らしてきたエルメス(豚)を食材にして欲しいというのだ。あまりにも残酷なことを娘に頼む親だと思ったが、振り返ってみれば、料理人としての試練を与えたのかも知れない。

★ やがて母は帰らぬ人となる。倫子は生きがいをなくし、食堂も閉めてぼんやりと日々をやり過ごしていた。そんな時、母からのメッセージを受け取る。

★ 最後は倫子の決意で締めくくられている。「料理を、捨ててはいけない。心からそう思った」(257頁)

★ 倫子にとっては料理だっただろうし、作者にとっては「小説」だったのかも知れない。誰にも天職というものがあるのだろう。それを究めてこそのプロだと勇気づけられた。

★ 倫子にとって料理は祈りだという。(231頁)人を思いやり、その幸せに心を尽くす。彼女にとって料理をしているときが至福の時間だったのだろう。

★ 母と娘、命のつながりの物語。倫子や母親を取り巻く人々、自然の祝福に感動した。
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