先週も有田さんの記事だったので、ということではないですがタイミングもあり、気にもなったので書きます。
まず、有田さんの判断は当然だと思うんです。
「残念」という言葉を使えるのも有田さんのほうでしょう。
一方、ひろゆきが「残念」という言葉は使えない。
この人は、自分の仕事に対しての責任感というものをどう捉えているのでしょう。
辺野古で自分があのような行動を取れば、辺野古に長年関わっている有田さんとの仕事が今回のようになることを想像できなかったのでしょうか?
あまりにも想像力が欠如していないでしょうか?
わかっていてやったということであれば、有田さんに対する侮辱でもあります。(それ以前に多くの人々を侮辱しているわけですが)
このあたりのことがすべてではないでしょうか。
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