はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

『黒部の山賊』と黒部の岩魚

2015-08-06 19:43:14 | 本の話
『黒部の山賊』伊藤正一著(山と渓谷社発行)という本があります。

この本は少し前までは、山小屋でしか売っていなかった本なのですが、最近はどこの本屋さんでも買えるようになりました。
伊藤正一さんとは、本の著者紹介によれば、「大正12年(1923)生まれ、8歳の時に木曽御岳へ登って以来、北アルプスをくまなく歩いて現在にいたる。昭和21年(1946)、三俣蓮華小屋(現在の三俣山荘)、水晶小屋を譲り受け、「山賊」たちの協力を得て湯俣山荘、雲ノ平山荘を次々と建設し、昭和31年(1956)には北アルプス最後の楽園「雲ノ平」への最短ルート、伊藤新道(現在は一般道としては使われていない)を独力で完成させた。」という人です。
なかみは読んでのお楽しみということにしておきます。昭和20年代の北アルプス登山黎明期の話が楽しめますよ。本当に山賊がいたんですよ(笑)
表紙の畦地梅太郎さんの版画が、またいいんです。
(鷲羽岳から見た三俣山荘の赤い屋根 2011.8)
現在は登山道も整備され、適当な所に山小屋があり、安心して山登りができる時代になりました。これも先人の苦労があってのことですね。(感謝!)

さて、今夜からその黒部に出かけます。「平の小屋」に泊まって、周辺の沢でイワナ釣りを楽しむ予定です。
(黒部湖のほとりに建つ平の小屋)
今は、渡し船が対岸の針ノ木沢まで出ていますが、ダムのない頃は、吊り橋が架かっていたそうです。
(黒部の岩魚 2012.9)
こんなイワナさんに会えればいいんですが。11日頃の報告をお楽しみに。

本で旅する日本の秘境

2015-03-17 16:44:41 | 本の話
「秘境」という言葉はいい響きを持っています。

ヤマケイ文庫から出ている『定本日本の秘境』岡田喜秋著は、すばらしい紀行文だと思います。
昭和30年代(1955年)に日本各地の山・谷・湯・岬・海・湖を歩いた記録です。

はじめの章「山頂の湿原美と秘湯ー赤湯から苗場山へー」を読んだ瞬間から、ガツンと一発パンチを食らった感じがしました。
赤湯は前々から一度は行ってみたい秘湯で、地図やネットで調べていた温泉です。
赤湯に行くには、関越自動車道の湯沢インターでおりて、苗場プリンスホテルスキー場前から林道を6キロ走って、そこから徒歩2時間という行程です。(赤湯温泉は今でも秘湯です)

さて、苗場スキー場が出てきましたが、まだ行ったことはありませんが、おしゃれなリゾートスキー場という感じがします。
ところが『日本の秘境』では、「私がこの一般コースをとらずに、わざわざ迂回コースを選んだのは、その途中に、赤湯という忘れられたような古めかしい温泉宿があることに心ひかれたためだったが(中略)元橋という集落はその入口にあった。 バスを降り立ったとき、道端に一軒しか家がないのにちょっと驚いたが(中略)予期に反してここには電気がなかったのだ。夏のさなかに赤々と燃えるいろりのかたわらに座っても暑さを感じないのは、ここがすでに海抜1000メートルに近い高地であることを物語っていたが、ランプをたよりに夜食をとるひとときは、さらに都会から遠い時代錯誤な旅情を感じさせた。」

どうですか、60年前の元橋(苗場スキー場)周辺はこんな感じだったようです。60年も経ったら変わるのも当然ですが、近くに新幹線や高速道路ができ、いろりの宿からリゾートホテルへの変化は、日本の60年間を象徴しているようです。

昭和34年(1959年)の「夏油(ゲトウ)という湯治場へー奥羽山中の秘湯ー」では、「日本のあらゆる山の中でダムがつくられ、谷らしい谷間はすべて電源開発の名のもとに水がたたえられている今日だ。山中に住む人々はその文明開化を文化の進展として、よろこんでいるだろう。煙を吐く汽車が次第に姿を消してゆく。それを残念だと感じるのは、「現在」に食傷した人間の酔興だろうか。」と書いています。

当時は、いたるところでダム工事が進められていた時代で、この本にも度々そのことが書かれています。
時代が動いていたのがわかります。それは不便が便利になったのと同時に、何かが失われた時代だったような気がします。

なんか深刻な話になってしまいました。
でも、この本を読むと昭和30年代の日本の原風景のようなものが見えてきます。


(鷲羽岳から望む三俣蓮華岳と黒部五郎岳 2011年夏)

ここも秘境といえるでしょう。