東大寺大仏殿には、ご本尊の大仏様の他に4体の仏像が納められています。大仏殿では、大仏様ばかりがクローズアップされますが、まわりの仏像もりっぱなものですよ。そして、なにより写真撮影が可能なんです。(仏様なので、しっかり敬って撮影しましょう。)
昨日は、四天王の広目天と多聞天を紹介しましたが、今回は脇侍(わきじ・きょうじ)の菩薩様です。大仏様に向かって右側にいらっしゃる「如意輪観音菩薩座像」です。
大仏殿は戦禍で2回も焼失したので、今ある仏像は江戸時代のものです。それにしても大きな仏様です。大仏様の隣に居るので、小さく見えますが、大仏様の半分の大きさなんですよ。こんなりっぱな仏様は普通のお寺にはいらっしゃらないでしょうね。
現在の大仏殿は、奈良時代の4分の3の大きさということです。大仏様も金色に輝いていたそうです。四天王も4体そろっていて、みなカラフルな色彩だったそうです。タイムマシンがあれば、当時の光景を見てみたいものです。
大仏殿の前では名残のモミジが迎えてくれました。
もう、紅葉の見ごろは終わっていました。ところどころに名残を惜しむようにモミジがありましたが、そんな散りモミジの上に鹿がいました。鹿とモミジの取り合わせと言ったら、なんかありましたよね。そう、花札ですよね。
東大寺ミュージアムの隣にある土塀です。東大寺に行ったら必ず写しています。
東大寺をあとにして、次の目的地に向かいます。その途中に興福寺があります。横目に見ながら通り過ぎようと思ったのですが、紅葉が目に入ったので寄り道することにしました。
興福寺の南円堂は西国33ヶ所観音霊場のひとつです。
せっかくなので、階段を上ってお参りしました。参拝者というか観光客も多く訪ねて来ていましたが、ほとんどが、外国からの方のようでした。札所につきものの御朱印所のおじさん二人も暇そうにされていました。
興福寺は藤原氏の氏寺ですが、(春日大社もそうですが。)ここ南円堂は、藤原氏の中でも、道長など摂関家として栄えた藤原北家の祖である内麻呂・冬嗣のゆかりの地でもあるそうです。幟に書かれているご本尊のご開帳は1年に1度だそうです。
さあ、次の目的地に向かいましょう。そこは、奈良に来たら楽しみにしているところです。
昨日は、四天王の広目天と多聞天を紹介しましたが、今回は脇侍(わきじ・きょうじ)の菩薩様です。大仏様に向かって右側にいらっしゃる「如意輪観音菩薩座像」です。
大仏殿は戦禍で2回も焼失したので、今ある仏像は江戸時代のものです。それにしても大きな仏様です。大仏様の隣に居るので、小さく見えますが、大仏様の半分の大きさなんですよ。こんなりっぱな仏様は普通のお寺にはいらっしゃらないでしょうね。
現在の大仏殿は、奈良時代の4分の3の大きさということです。大仏様も金色に輝いていたそうです。四天王も4体そろっていて、みなカラフルな色彩だったそうです。タイムマシンがあれば、当時の光景を見てみたいものです。
大仏殿の前では名残のモミジが迎えてくれました。
もう、紅葉の見ごろは終わっていました。ところどころに名残を惜しむようにモミジがありましたが、そんな散りモミジの上に鹿がいました。鹿とモミジの取り合わせと言ったら、なんかありましたよね。そう、花札ですよね。
東大寺ミュージアムの隣にある土塀です。東大寺に行ったら必ず写しています。
東大寺をあとにして、次の目的地に向かいます。その途中に興福寺があります。横目に見ながら通り過ぎようと思ったのですが、紅葉が目に入ったので寄り道することにしました。
興福寺の南円堂は西国33ヶ所観音霊場のひとつです。
せっかくなので、階段を上ってお参りしました。参拝者というか観光客も多く訪ねて来ていましたが、ほとんどが、外国からの方のようでした。札所につきものの御朱印所のおじさん二人も暇そうにされていました。
興福寺は藤原氏の氏寺ですが、(春日大社もそうですが。)ここ南円堂は、藤原氏の中でも、道長など摂関家として栄えた藤原北家の祖である内麻呂・冬嗣のゆかりの地でもあるそうです。幟に書かれているご本尊のご開帳は1年に1度だそうです。
さあ、次の目的地に向かいましょう。そこは、奈良に来たら楽しみにしているところです。