goo blog サービス終了のお知らせ 

はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

中山道を歩く(柏原から今須)

2018-03-09 18:55:55 | 街道歩き
久しぶりの街道歩きです。とくに中山道は、2015年4月26日に鳥居本〜柏原を歩いて以来、実に3年ぶりになリます。ということで、今回のスタートは柏原宿です。久しぶりなので無理をしないで、関ヶ原宿を目指すことにしました。柏原〜関ヶ原は歴史的にもたくさんの見所があり魅力的な区間と言えるでしょう。しかし、寄り道ばかりでは先に進まないので、今回は関ヶ原の古戦場は横目に見ながら進むことにました。

「青春18きっぷ」で、大阪駅から柏原駅にやって来ました。大阪8:21発の新快速に乗車し、米原で乗り換えて柏原に10:10に到着しました。


柏原駅から見る伊吹山は、頂上部分は雲がかかっていました。


駅前の案内看板です。


柏原宿です。道はもちろん中山道です。この微妙な曲がり具合が好きなんです。


昔はあちらこちらの宿にこれが灯り、ほんのり明るい宿場町の様子が想像できます。街道歩きは想像を逞しくしなければいけません。


芭蕉さんの碑がありました。これまでも中山道を歩いていると芭蕉さんの句碑にはよくお目にかかりました。


こう言うことが書かれているそうです。要は、伊吹山を褒めているのです。と言ってしまえばそれまでなんですが‥。


柏原宿を出てしばらくは谷に沿って歩きます。街道沿いにはケヤキ並木が残っていました。


この辺りは、昔も今も交通の要衝です。東海道線(道の下)の向こうは名神高速道路です。もちろん近くを新幹線も走っています。


やがて、今回一番行きたかった「寝物語の里」が見えてきました。寝物語の由来は、近江と美濃の国境を挟んで建つ宿があり、壁越しに寝ながら他国の人と話し合えたので、寝物語の名が生まれたということだそうです。


細い小さな溝が県境でした。しかし、大袈裟に言えば、ここが東西文化の分かれ目かも知れません。我が司馬遼太郎もここを訪れていますが、あまり感慨は無かったようです。(『街道をゆくー近江散歩ー』)


美濃側(岐阜県)から近江側(滋賀県)を望みました。


美濃側には、たくさんの芭蕉さんの句碑が建てられていました。実際に「野ざらし紀行」では、芭蕉さんもここを歩いています。「正月も美濃と近江や閏月」とあったので、調べてみたのですが「野ざらし紀行」にも無くどうもよく分かりませんでした。司馬遼太郎も『街道をゆく』にその事を書いています。


東海道線の「車返踏切」を渡って、国道21号を越えます。この踏切は両方がカーブになっていて、撮り鉄には良さそうな所でした。


車返地蔵があるというので、坂の上に上ってみました。お地蔵さんが大切に祀られていました。


しばらく進むと、どうやら今須宿に着いたようです。今回はここまでです。


「青春18きっぷ」を使っての旅も久しぶりです。2016年の春に尾道に行ったり、飯田線(豊橋〜飯田)に乗ったりして以来です。列車の旅は好きですが、一日中列車に乗りっぱなしというのも、ちょっと疲れますね。尾道の帰りも岡山から新幹線に乗ってしまった根性の無い「乗り鉄」さんです。

※訪問日 3月7日