はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

仁川あたりをぶらり (阪神競馬場)

2015-06-16 20:26:17 | 知らない街をぶらり
仁川といえば、「仁川ピクニックセンター」というのは、前回の書き出しでした…。今回は、仁川といえば、仁川競馬場が有名でしょう。正しくは阪神競馬場です。
ちょうどこの日は、競馬の開催日だったので、阪神競馬場へと向かいました。(実は、知ってましたが。)
(ゴール直前)

阪急仁川駅を降りると、改札口から5メートル先に、いきなりエスカレーターが表れます。そのあと、大きな屋根付きの連絡道を歩けば、駅から7~8分ほどで競馬場まで雨にも濡れずに行くことが出来ます。
(改札口を出たら)

当たり前のことですが、とにかく広いです。芝コース1周が2100メートルあるそうです。ゴルフが出来そうですね。(実は、むかし会員制のショートコースがあったそうです。)
(広いコース)
この広い土地は戦前、川西航空機宝塚製作所という戦闘機の部品を作っている工場だったそうです。当然、アメリカ軍の攻撃対象となり、空襲により建物は壊滅し、100人もの人命が失われたそうです。

さて、競馬の結果は?ご想像にお任せすることにします。もし、馬と話が出来ればと思うのですが…。そういえば昔、アメリカ製のテレビ番組で『ミスター・エド』というのがありましたが…。「馬がしゃべる、そんなバカな…」というテーマソング?は、よく覚えています。パドックで馬の囁きが聞こえるのなら、大金持ちになれるかもしれませんね。
(パドックです。馬の囁きが…)

ところで、馬の名前は2文字以上9文字以内と決められています。「ディープインパクト」という、インパクトのある名前の通り強い馬もいれば、おもしろい名前の馬もいました。ちょっとカタカナばかりになりますが、お付き合いください。

まずは、「オレハマッテルゼ」。石原裕次郎の歌にこんな歌詞がありましたが、「はまってるぜ」というあたりがミソです。次は「オジャマシマス」南洲太郎が言ってましたね。「コレデイイノダ」赤塚不二夫先生作『天才バカボン』パパの名セリフです。実況アナウンサーが舌をかみそうな「ビビデバビデブー」。本当に競走馬の名前?と言いたくなる「ロバノパンヤ」。速くないの?「ノロノロ」。馬なのに「タコ」。いかにも怪しい「ナゾ」。もう、やる気あるの?「イヤダイヤダ」など、まだまだあるけどこのへんでやめときます。こんな馬たちが一緒にレースをしたら、実況放送を聞いているだけで楽しくなるでしょうね。

仁川あたりをぶらり (阪神・淡路大震災の傷跡)

2015-06-15 22:51:37 | 知らない街をぶらり
仁川といえば、「仁川ピクニックセンター」という名前が出てくるのですが、今は「甲山森林公園」というのだそうです。ピクニックという言葉が時代に合わなくなったんでしょうか?
甲山(309メートル)にでも(甲山に失礼ですね。)登ろうかと、歩いて行ったのですが、途中の「地すべり資料館」で足がとまってしまい、ハイキングはお預けにしました。(まあ、何回も登っている山なので。)
この資料館も初めてではないのですが、来るたびに心が痛みます。ここにも「阪神・淡路大震災」の傷跡が残っています。

阪急電車仁川駅から、川(仁川)に沿って登っていくと、だんだん甲山が近づいてきます。
(仁川から見た甲山)
さらに進むと、川が渓流?のような流れになります。突き当たりの橋を渡って、階段を上がると、「地すべり資料館」があります。(その手前に慰霊碑があり「やすらかに」と書かれています。)
(地すべり資料館)
館内には、土砂災害に関する資料が展示されています。というか、「この場所で地すべりがあった」というリアリティーのあるところです。
1995年1月11日に発生した大地震により、大きな地すべりがおこり、13戸の家屋が倒壊し、34名の尊い命が奪われました。
(震災前の様子)
(震災後の様子)
(現在の様子)
資料館の周辺は、きれいに整備されて、当時の様子をうかがい知ることはできません。地すべりを起こした斜面も花が植えられていました。もちろん二度と崩れることのないような工事もされています。
(斜面の上から)
斜面の上から眺めると、この足下の斜面が崩れ、川を越えて対岸の家屋も押し潰したのがわかります。合掌してそこをあとにしました。
それにしても対岸の山の上まで家が建て込んでいました。日本各地で見られる光景ですが…。

今、火山の噴火や地震のニュースが増えています。地震は、いつ、どこで起こっても不思議ではありません。阪神・淡路大震災のあと、非常時に備えての食料や水の備蓄などしていましたが、最近は忘れてしまっていたようです。これを機会にまた準備をしようと思いました。

アジサイの季節ですね

2015-06-13 17:45:13 | 花めぐり
恒例の写真教室第4回目です 今回は、梅林以来の万博公園です あれから3ヶ月、日本庭園は花盛りでした 紫陽花(あじさい)・蓮(はす)・花菖蒲(はなしょうぶ)などが見頃です
今回の写真のテーマは、「逆光」でしたが… それでは、芸術?写真を見てくださいね























どうですか?まだまだ修行が必要ですね しかし、今日は暑かったです。そのせいで手元がくるったことにしておきましょう

ところで、万博公園はとにかく広いです。そして、緑もいっぱいです。エキスポ大阪が終わって45年が経ちました。各国のパビリオンあとには、芝生や木々が植えられ、すっかり森のようになっています。緑が少ない大阪にとっては、貴重な緑地です。いつまでもこの自然を残して欲しいものですね。

古代史の舞台を歩く ヲホド王が眠っていたのは? 

2015-06-11 18:38:22 | 古代史の舞台を歩く
また、古墳の話で恐縮ですが、おもしろいので読んでください。
第26代継体天皇の御陵は、大阪府茨木市にある太田茶臼山古墳が治定されています。
(拝所からの継体天皇陵)
御陵の周りには家が建て込んでいて、なかなか全体像が見えません。見えるところもフェンス越しに見ることになります。拝所のあるところは、旧の西国街道に面したところにあります。御陵のすぐ横を名神高速道路が通っていて、ナビの地図にも出てきますよ。(茨木インターの近くです。)
(フェンス越しに見る継体陵)

しかし!そこから1.5キロほど離れたところの、高槻市にある今城塚古墳(いましろづか)こそが、真の継体陵であることは、研究者だけでなく衆目の一致するところなのです。
古墳の話をするたびに書きましたが、多くの天皇陵は被葬者が確かではないようです。それでも、宮内庁は知らん顔ですが。
(真の継体陵とされる今城塚古墳)

継体天皇というのは、現在の皇室の本当の始祖とも言われています。古事記や日本書紀では、ヲホド王と書かれていて、応神天皇の5世の孫ということになっています。応神ー仁徳ー…と続く系統が途絶えたので、5世の孫を迎えたというのです。それも、越の国(今の福井県)からです。5世って、父の父の父の父の父が応神ということです。なんか気の遠くなるような…。
継体天皇については、以上のようなことなどから歴史的に注目される天皇でもあるのです。ロマンですね!
 (後円部の頂上あたり)

えっ、天皇陵なのに入れるの?そうなんです、今城塚古墳は、宮内庁が天皇陵や陵墓参考地にも指定していないので、高槻市が史跡公園として整備したのです。おかげで、天皇陵に立ち入って、墳丘にも登れてしまうのです。古代歴史館もありますよ。(高槻市やるね。)
(埴輪を復原配置している)
残念ながら、地震で墳丘が崩れてしまったり、戦国時代にお城として利用されたりしたので、きれいな前方後円墳の形は留めていません。もちろん石室や石棺も残っていません。(かけらは有りましたが。)したがって、ヲホド王の眠っている姿も無いのです。
(くびれにある造出)

それでは、太田茶臼山古墳には誰が眠っているのでしょう。これも諸説有り、長くなるので書きませんが、やはり古代史のロマンを感じますね。

※今城塚古墳には、JR摂津富田か阪急富田からが便利です。JR摂津富田駅前にはレンタサイクルもあって、なんと100円です!

秘湯への旅 黒薙温泉 (富山県の温泉2)

2015-06-10 16:50:04 | 秘湯の旅
今回の秘湯への旅は、自分にとってもナンバー3に入る黒薙(くろなぎ)温泉です。
比較的かんたんに行けて、それでいて深山幽谷にある秘湯なのです。

黒薙温泉に行くには、まず黒部峡谷トロッコ列車に乗り込みます。今回は、宇奈月駅発9時のトロッコに乗り込みました。降りる黒薙駅までは20分程のトロッコ旅です。
(黒部峡谷トロッコ列車)
トロッコ列車は、黒部川に沿ってどんどん奥へ入っていきます。やがて、黒薙駅に到着です。駅で降りたのは、私一人だけです。観光客を乗せたトロッコ列車が、終点の欅平をめざして、後曳橋を越えていきます。
(後曳橋とトロッコ列車)
列車を見送ったあと、レールをまたいで、黒薙温泉へと向かいます。ひとりなので少し心細いですが…。
(駅にある看板)
いきなり急な階段が待っています。そこを登りきったら、次はちょっとスリルのある道が続きます。でも、緑がきれいです。下からは渓流の水音も聞こえてきて、山の中にいるのが実感できます。
(足下は断崖絶壁です)
山道の下には、黒薙川が流れています。渓流釣り好きの者にしたら、あそこがポイントかなと思いながら歩くこと20分!(近いですね。)黒薙温泉旅館に到着です。
(いい雰囲気です)

この旅館には、2006年の6月に訪れたことがあります。中山道を一緒に歩いているベートーベン先生とSさんの3人で宿泊しました。テレビも何もない部屋でしたが、渓流の音を聞きながら、3人でお酒を飲んだ思い出の温泉宿です。(もちろん、今でも圏外です。)

旅館で受付をすませたら(日帰り入浴は650円です。)いよいよ温泉です。2分ほど歩けば、岩で造られた大きな露天風呂があります。
 (大露天風呂 後ろは雪)
新緑に囲まれて、渓流の音が聞こえるだけで、ゆっくりとした時間が流れていきます。至福の時!何も言うことがありません。
(露天風呂からの新緑)

十分に温泉をあじわって、帰路につきました。来た時の山道を帰っていきます。途中、トロッコ列車の撮影ポイントに来たら、ちょうどトロッコ列車が後曳橋を通過するところでした。あわててシャッターを切りました。
(ラッキー!)
黒薙駅でトロッコ列車に乗り込み、黒薙温泉の旅は終わりました。
(黒薙駅と到着したトロッコ列車)

※そうそう、黒薙温泉の湯は、宇奈月温泉の源泉で、毎日大きなパイプで送られているそうです。