はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

深く感謝感謝

2009-05-18 21:36:38 | はがき随筆
 夫の急逝と、障害者の私のために19、20、21年の3回目の来鹿で4月中旬、妹夫婦が作業道具持参で広島から車で来てくれた。
 大型家具、危険な器具(電磁波やガス漏れ)10品目の買い替えと処分。大型オーブンの取り外し、業者の工事と同時に家の修理をし、寸暇を惜しんで網戸の材料を求め、張り替えてくれた。テラスの不用品の山もすべて処理された。
 連休を先取りした日々。ジャスミンの甘い香り。網戸は指一本で滑る。うれしい。安堵する。2人へのお礼の言葉は筆舌に尽くし難い。深く感謝感謝。
  薩摩川内市 上野昭子(80) 2009/5/18 毎日新聞鹿児島版掲載





叔母の葬式

2009-05-18 21:30:10 | はがき随筆
 中津にいる叔母は92歳で急逝した。晩年は心臓を患って施設に入所していたが、1月前に見舞いに行った時は元気だった。
 叔母は、先に逝った叔父と同様に親類の中で最も頼れる人だった。学生時代は京都から帰る途中よく立ち寄り、農作業を手伝ったり、いとこの勉強の面倒も見た。いとこは結局私の弟の三男坊と結婚して家を継いだ。
 叔母をはじめ家族はことのほか親鸞の教えを信仰して来た。葬儀は深い悲しみ包まれたがいとこは最後に「弥陀に抱かれ逝きし母共に暮らした六十余年母ちゃん母ちゃんありがとう」と涙して感謝の言葉で結んだ。
  志布志市 一木法明(73) 2009/5/17 毎日新聞鹿児島版掲載



初夏の月影

2009-05-18 21:26:35 | はがき随筆
 春が老い夜明けが早くなるのは、早起きの身にとっては何よりも有り難い。いつものように4時前に起き新聞を読んで、5時10分に車で隣の海水浴場まで行く。
 東の空が少し明るくなり黒い山脈の上に明星が光ってる。砂浜に降り立つと西空にオレンジ色の満月が見え、なぎの海に月影が落ちている。何とも言えない美しい光景である。かすかに響く波の音を聞きながら渚を歩いてゆくうちに、あたりが次第に明るくなってくる。
 初夏となる夜明け。自然はやはり美しいとしみじみ思うひとときである。
  志布志市 小村豊一郎(83) 2009/5/16 毎日新聞鹿児島版掲載



もったいない

2009-05-18 21:23:35 | はがき随筆
 愛用のトレーナーズボンとソックスがほころびたので繕いをした。ズボンのほころびは5㌢程で、ソックスはI㌢程の穴。これまでは破損したらすぐに廃棄していたが、もったいない精神をいかし再利用を考えた。
 長持ちする程に大切に扱う。I針I針を丁寧に丹精込めて縫えば愛着もわきます。何か得をした気分でゆとりもあるから大きな収穫にもつながった。消費が美徳の時代は過去。現に再利用の時代に逆戻り。物品も寿命の続く限り永久に使い果たす。
 祖母は96歳で天寿を全う。針を持つ姿勢が印象的だった。お手本にしたい祖母の存在。
  加治木町 堀美代子(64) 2009/5/15 毎日新聞鹿児島版掲載



孫から元気

2009-05-18 21:08:40 | はがき随筆
 「おじいちゃん、元気。あのね……」で始まるおしゃべり。7ヵ月で帝王切開で生まれた孫が今年、大学入学。
 親をとるか、子供をとるかの大手術。市立病院に6ヵ月、親子入院3ヵ月。奇跡的に母子健在。幼、小、中、高と順調に成長。誰に似たのか明るく、おしゃべり。みんなから愛されかわいがられている。
 電話の向こうで「おじいちゃん元気」。明るくはずむ声で定期的に電話してくる。その度に元気をもらう。
 将来は英語の先生になるとはりきっている。行く末、幸多かれと妻と祈っている。
  薩摩川内市 新開譲(83) 2009/5/14 毎日新聞鹿児島版掲載

バラが咲いた

2009-05-18 21:04:44 | はがき随筆
 新緑が目に染みる季節。澄んだ空の青さに、庭先の真紅のバラが吸い込まれそう。
 「ばらのまち、かのや」では今が盛りとばかり霧島ケ丘公園が連日にぎわっている。市民のバラヘの関心も高く、市内のあちこちに咲き誇り、国道バイパス沿いでも色鮮やかに多種類のバラの群生が道行く人、車窓からの目を楽しませている。 
 私の住む町内会では春と秋の2回、日曜日の早朝、住民総出の枝のせん定、除草作業を続けて久しい。家族ぐるみでいい汗かいて、共に地域をはぐくみ守っていきたい心意気が、住民同士の連帯感を深めて意義深い。
  鹿屋市 神田橋弘子(72) 2009/5/13 毎日新聞鹿児島版掲載


人と人との間

2009-05-18 20:15:28 | はがき随筆
 キスする直前から、なぜ人は目をつぶるのか? 愛する人の顔が最接近するというのに。
 人は、接近しすぎると不快感を覚えるようだ。だから、異常に近づく顔を拒む。目をつぶることにより、顔が近くにあることを無意識のうちに否定しているのだ。満員電車でも不愉快な顔をしているし、幼子でも、顔を近づけすぎると一方を向く。
 人付き合いでも、近づきすぎるのはやぼだ。「人間」が文字通り、間を置くことを教えている。ある程度の間をおくことで人間関係はうまくいくのだ。
 キスなどとは縁遠くなった者のへりくつだろうか。
  肝付町 吉井三男(67) 2009/5/14 毎日新聞鹿児島版掲載