はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

負けないで

2016-01-06 13:22:00 | はがき随筆
 新千歳空港に降り立った時、心が震えた。見渡す限り憧れの雪景色だったからだ。
 一行はバスに乗り、これから函館へ向かうという。「北海道は広いです。九州の倍ありますから」という言葉通り、朝6時半に家を出て、真っ暗な夕方6時半にやっとホテルに着いた。
 ホテルに着く前、バスの中でこんな注意事項を伝えられた。
 「今北海道は韓国や中国などからの旅行客が大変多いです。これから行くホテルもアジアの方たちと一緒です。北海道の経済にとってはありがたいことですが、皆さまにはいろいろご不快なこともあるかもしれません。悪口ではないのですが、文化や習慣の違いで、列に割り込んだり、大声で話したり、席を乗っ取ったりされます。皆さま、決して負けないでください。席を押さえたら誰か1人は残り、ここは自分たちの席だとアピールしていてくださいね。物を置いていたぐらいではどけられてしまいます」
 みんな笑って聞いていたが、やはり身構えてしまった。
 「アジアの方たちに負けないで」。私たちはアジア人ではないのかなと思いながら、旅行中何度聞いたことだろう。
 それにしてもアジアの方たちはパワフルだ。地図でも日本は大陸から押し出されたかっこうだけど、列も踏ん張って並んでいないといつの間にか押し出されている。
 1歩前に出て踏ん張らなくてもいい。でも1歩か2歩下がったら、そこで踏ん張っていこう、負けないで。
  出水市 清水昌子 2016/1/6 毎日新聞女の気持ち欄掲載

いつか「バディ」に

2016-01-06 13:08:54 | はがき随筆
 「ねえ、ねえ、みーちゃん、私たちってバディだよね」。トイレの中の18歳の娘に声をかけた。
 「えっー、バディ? 耳をかっぽじってよく聞くのだ。私たちは『バディ』と言うより『一蓮托生』だよ。バディは一人が倒れたらもう一人が守れる。でも私たちはまだそんなんじゃあないしー」と言う。そうですか、まだ2人とも危ういってこと……私、撃沈する。
 娘自身も本物の大人になって、私ももう少したくましくなって、いつの日が娘にカッコイイ「バディ」といわれるように頑張りたいと思う。
  鹿児島市 萩原裕子 2016/1/6 毎日新聞鹿児島版掲載

「ごめんなさい」

2016-01-06 12:59:37 | 女の気持ち/男の気持ち
 事実は小説より奇なりと言うが、我が家にも込み入った物語がある。
 昭和7年12月25日、私の姉は東京で生まれた。両親はまだ学生で結婚もしておらず、周囲の勧めもあって養女に出された。宮城に移り住んだ姉は高校時代に養父から事実を知らされたという。早くに養母が亡くなり、義母に男の子が生まれたこともあって、高校卒業後に実母の両親を頼って東京に出たらしい。
 私たちの両親は戦後に父の故郷鹿児島に戻り、私が生まれる昭和27年に婚姻届を出した。私が真相を知ったのは31歳。父が亡くなった時だった。遅すぎると母を責めた。
 その翌年、姉が結婚して暮らしていた仙台でようやく母子の3人が顔を合わせ、おいやめいにも初めて会った。その後数回行き来したが、7年ほど前に私の手紙が誤解を招き、めいにも訪問を断られ、仙台まで行ったが会えずに戻ったこともある。震災前に老人ホームに入居したと東京在住のおいから知らされたが、没交渉のままだった。
 和解をと願っていたが、希望は断たれた。おいから先日、亡くなったことを知らせる喪中はがきが届いたのだ。父の暴力にも耐えて離婚しなかったのは、万が一の時に姉が頼れる場所を残しておきたかったからだと母は言っていた。その思いを伝えることももうできない。 
 面と向かって「お姉さん」と詠んだことがない姉を思い、声に出して言ってみた。
 「暁美ちゃん、もう一度会いたかったよ。ごめんなさい」
  鹿児島市 本山るみ子 2015/12/29 毎日新聞女の気持ち欄掲載

2016-01-06 12:43:43 | はがき随筆
 また1本、息子の歯が抜けた。笑うと欠けた前歯が間抜けて見えるのだが、本人はお構いなしだ。幼稚園では抜けた歯が多いほどステータスが高いらしく、自慢げに口を広げてみせる。
 最初の歯は、仕上げ磨きのときに誤って抜いてしまった。彼は痛みに驚いて泣き、意外な出血にわめいた。2本目は、ぐらつき始めた頃から舌で押していたらしく、難なく取れた。3本目は友達に激突して抜け、4本目は熊本城の天守閣でぽろりと落ちた。しばらくは生え変わりで一喜一憂が続くだろう。全部大人の歯になる頃には、どんな顔で笑うのだろうか。
  鹿児島市 堀之内泉 2016/1/1 毎日新聞鹿児島版掲載

ブライアン樹

2016-01-06 12:37:13 | はがき随筆
 故郷のコスモスを見た帰りに母校を訪ねた。小学校の校庭に大きなクスノキがある。米国の政治家で後に副大統領となったブライアンが1905年に植樹したものだ。
 村の青年が米国の氏の家で5年間お世話になり、彼を育てた両親と村を見たいと、船旅の途中、立ち寄った。2人は終生、日米親善に尽くしている。
 昭和20年、私が小学2年の夏、空襲で校舎は全焼し、皮肉にも日米樹は焼け落ちた。まもなく根から芽が出て、立派な樹木に成長している。母校は2年後の閉校が決まり、卒業生で記念誌の発行に取り組んでいる。
  鹿児島市 田中健一郎 2016/1/5 毎日鹿児島版掲載

ひっかかった骨

2016-01-06 12:28:41 | はがき随筆
 まだ若く、世渡りももっと下手だった頃。大学の先輩が隣町のキャンプ場に来るというので、母が作ったスイカを届ける約束をした。しかし、父に「男性に会うために仕事を休むとはけしからん」と叱られた。
 当日、職場とは反対方向の列車に乗れば、たとい手ぶらでもおわびが言えたのに。弱虫娘は普段通りに仕事に行った。携帯電話も無い時代、謝罪の葉書を出したが、以来音信不通に。
 過日、41年ぶりに再会し「のどに骨が刺さったようで」とわびたら「スイカに骨はないよ」と笑ってくれた。あのときの骨が抜けたと思える瞬間だった。
  鹿児島市 本山るみ子 2016/1/4 毎日新聞鹿児島版掲載

郷愁

2016-01-06 12:21:44 | はがき随筆
 冬支度の季節、「ストリート美術館」(中央駅前)に参加し「ほのぼの風景画」を展示した。絵を見た人の共通した感想が懐かしさだ。突然「ワーオ ワンダフル」と、じ~っとその絵に見入っている一人の外国人。笑顔で近づきシッチョ単語を絵文字を混ぜ会話をした。イギリスの片田舎に生まれ、この絵を見ていると郷愁にかられると話してくれた。何かの縁とにがえ絵を描き、ローマ字で「ヨカニセ」と添えた。意味を知って最高の笑顔でアイム ハッピイと一言。故郷を離れたからこそ、ある風景を見たときに、ぐっとくるものは世界共通だ。
  さつま町 小向井一成 2016/1/3 毎日新聞鹿児島版掲載