はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

聴くとは

2016-01-20 22:07:38 | 岩国エッセイサロンより
2016年1月15日 (金)
岩国市  会 員   安西 詩代


91歳の女性のお話を聴く。戦後生まれの私には想像もつかない苦しい経験をされている。
 先日「私のお習字を見て」と言われた。壁には半紙に「強く明るく生きるのよ」と力強い宇で書いてあった。「生きるのよ」が心にひびく。きっと自分自身のための言葉なのだろう。
 人生、つらい時、悲しい時、この言葉を心の中で唱えながら自分を応援し生きてこられた。 
 「いい人生だった! 何も思い残すことはない」と穏やかに言われるが、彼女の隠れている心の疼き、心の震えに触れ、軽々な言葉では相づちがうてない。深くうなずくだけがやっとだ。
   (2016.01.15 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 岩国エッセイサロンより転載

はがき随筆12月度

2016-01-20 22:01:33 | 受賞作品
 はがき随筆12月度月間賞は次の皆さんです。

 【優秀作】2日「逃げ道」新川宣史さん=いちき串木野市大里
 【佳作】4日「解禁の日に」中馬和美さん=姶良市加治木町
 △30日「傘寿を迎えて3」一木法明さん=志布志市志布志


 「逃げ道」は、静かなアイロニーの籠った文章です。川内原発に事故が起きたときの、避難経路の冊子が配られてきたので、それに従って南へと向かってみた。すると、暖かい冬日の中の美しい開聞岳にたどりついた。この薩摩富士に別れを告げて南海へ飛び立った若者たちがいたことを思い出した。さて現在、ここが安全な場所となるかどうか。
 「解禁の日に」は、自分の日記の記事を、1日分ずつ読み返すことにしたという、自分だけの楽しみが書かれています。高齢になると持ち時間に、将来よりも過去が占める割合が増えてきますが、このように過去を確認しながら先へ進むことは素晴らしいことだと思います。
 「傘寿を迎えて3」。老いは、視力や聴力それに体力や気力の衰えとして実感される。そこで自分に望まれるのは、西田幾太郎の短歌にあるように、命の重さに気づき、残りの命を燃やし尽くすことができればということだと、なにかに充実した余生を任せたい気持ちがよく表れています。
 この他に3編を紹介します。
 秋峯いくよさんの「転校生」は、宮沢賢治の「風の又三郎」を思いださせる文章です。小学校5年のとき、ドッジボールの強い転校生がいた。すぐにまた転校していなくなったが、その生徒のそれからの人生が気になるときがあるという、私たちにもある思いが書かれています。
 田中由利子さんの「年賀状」は、3年前に同級生から、次の干支までは?と、添え書きされた年賀状をもらった。軽く読み流していたが、その後その人のがん手術のことを知り、添え書きの意味の重さを知ったという文章です。
 高橋誠さんの「タブレット」は、現在タブレットPCを便利に使っている。子どもの頃を思い出してみると、家の周りの板塀に実にたくさんの張り紙がしてあった。あの張り紙の情報の豊かさから考えると、あの頃の板塀はタブレットであったにちがいない。板塀をアナログタブレットと見たところが生きた文章にしています。
 鹿児島大学 名誉教授 石田忠彦 2016/1/20 毎日新聞鹿児島版掲載

回想

2016-01-20 21:31:49 | はがき随筆
 父の四十九日を終え、妻と師走の温泉に来た。時雨にかすむ山々を眺めながら露天風呂に一人。小雨の音、湯水が流れ落ちる音が心地よく、目を閉じる。あれこれ思いがよみがえる。
 我が子の名前すら忘れた母に、母ちゃんと呼ぶと笑顔で応じる母の死は、一番気落ちしたときだった。愚直で寡黙な父は、母を最期まで見届けた。着の身着のままで北朝鮮から引き揚げて苦楽を共にした妻への奉公だったか、そんな父を温泉に連れて来て背を流してやる約束を果たせぬままになった。人の気配に目を開けると、父の恰幅に似た人影が湯煙にぼやける。
  出水市 宮路量温 2016/1/20 毎日新聞鹿児島版掲載

桃太郎

2016-01-20 21:24:51 | はがき随筆
 桃太郎の昔話がある。以前から疑問に思っていたことがある。お供が犬、猿、キジなのはなぜかということである。犬、猿は人間に近く、お供にするのは普通に考えられる。キジは野山にすみ、人との距離は近くない。
 久しぶりに山に行った。春先にタケノコを取ってそのままである。山中をカサカサという音が近づいてくる。よく見るとキジである。私が歩くとついて来る。餌をやると手渡しで食べる距離である。人懐こいキジである。帰るときも車まで送ってくれた。今も続いている。このことで桃太郎のなぞが解けた。
  出水市 御領満 2016/1/18 毎日新聞鹿児島版掲載

書を捨てて…

2016-01-20 21:18:47 | はがき随筆
 記憶力の衰えなのか、頭の回転の退化なのか、人の名前が出てこなかったり、とっさに言葉が出ないことが増えた。年のせいなのだが、進行する不安を思うと恐ろしい。老化だから仕方ないと単純に割り切れるものだろうか。新聞や本を読む努力はしているが、その傾向は止まらない。妻や子供たちに迷惑は掛けたくないが、その意思さえ忘却の線上にあると思うと恐怖だ。思い当たる原因の一つは、人との接点の減少である。外に出れば話題も豊富になり、感動も生まれるだろう。取りあえず刺激を与えてみよう。老人よ書を捨てて街に出よう!だ。
  志布志市 若宮庸成 2016/1/19 毎日新聞鹿児島版掲載