はがき随筆・鹿児島

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「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

しぇっしぇん

2017-03-02 12:32:02 | 岩国エッセイサロンより
2017年3月 2日 (木)
    岩国市   会 員   片山清勝

 60年前、高校時代にクラスを受け持っていただいた物理の先生は今年、白寿になられる。だが、記憶にあるのは理系の教師らしく白の実習着を着て講義をされる場面。若くて充実した教師生活真っただ中の姿だ。
 物理の必須用語の一つに 「接線」がある。曲線上の2点を通る直線を想定して1点をもう1点に限りなく近づけた時、2点を通る直線が限りなく近づく直線。先生は「しぇっしぇん」と発音した。だからニックネームは「しぇっしぇん」。接線を言うたび、苦笑いされたのが忘れられない。まじめに黒板を見つめる生徒も皆、ふっと心が和んだ。
 ある時、試験で全問正解なのに95点だったことがある。抗議に行くと、「世の中に完全なものはない。私は満点を付けない主義」。物理の先生らしからぬ、理屈にならない説明をされた。笑うしかなかった。
 しかし、社会人になってからその経験のありがたみが分かった。世の中の矛盾に遭遇し始めると、「物理の95点」を思い出した。
 卒業後は年賀状だけのつながりだが、もう60年近く続いている。時に「体調不良」との記入もあった。だが、漢詩を引用してこちらを激励される方が多かった。ことしは「白寿になる」と書かれていて、初めて先生の年齢に思い至った。自分の加齢は気にしても、他人の年齢に注意を払わない自分を諭されるようだった。
 春である。もっと温かくなったら「しぇっしぇん」先生をお訪ねしよう。

      (2017.03.02 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)