はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

緋寒桜の下で

2017-03-08 18:22:36 | はがき随筆






 西之表市の市街地から本城跡に上る路地の左側の土手に咲く緋寒桜を鑑賞していたときの話。路地はかなり急坂で、通る人は足元を見て上がるため緋寒桜を見上げる余裕がない。ビニール袋を手にした、買い物帰りと思われる私と同年配の男性が上がって来た。上がりきったところで振り返り声をかけてきた。「今年もきれいに咲いてますな。私もここを通るのが楽しみです」とにっこり。今度は下校途中の女子小学生が通りかかった。「こんにちは」「お帰りなさい」。こうした会話も日常的に交わされる。種子島には日本の原風景が息づいている。
  西之表市 武田静瞭 2017/3/8 毎日新聞鹿児島版掲載

後期更年期?

2017-03-08 18:15:46 | はがき随筆
 2年前の夏から、突然すごい汗が出てくるようになった。頭からも汗ポタポタ……、異常な感じ。冬も同じだった。最近の雪の日も、コットンのブラウス一枚だけでも上半身ビッショリ。昔は超寒がりだった私が、である。甲状腺のチェックもしてもらったが異常なし。たぶん更年期のホットフラッシュだろうということになった。更年期? ……ムフフ、この年で? 東京の友にメールしたら「ニコちゃん、今ごろ? 遅いよ! 後期更年期だね!」と言われ、笑い合った。よし、これが更年期ってものか。経験できてありがたい! 興味津々である。
  鹿児島市 萩原裕子 2017/3/7 毎日新聞鹿児島版掲載

初音

2017-03-08 18:08:55 | はがき随筆
 山茶花が盛りを過ぎ、椿の出番になる侯。耳をすませば、垣根の中を鶯がチッ、チッと渡り跳ねている。まだホーホケキョと鳴けないで、時たまホーと春本番へ自主トレをしている。
 そういえば、末孫はもう3年目の春を迎えようとしているのに「じいじ」「ばあば」と言えず「じっ」「ばあ」と、もどかしい。妻はこの先ずっと話をしていくじんせいだからゆっくり覚えればいいと意に介しない。私としては、片言で話す孫との姿を想像すれば待ち遠しくてたまらない。「ホーホケキョ」が早いか「じいじ・ばあば」が先か、春はすぐ近くまで来ている。
  出水市 宮路量温 2017/3/6 毎日新聞鹿児島版掲載

美容室

2017-03-08 17:45:46 | はがき随筆
 母の散髪は私の仕事。白髪が似合う年齢だ。不器用な素人の私が、ハサミと櫛を巧みに使いこなすこと10分ほど。仕上げに椿油を少量、手のひらにのばし髪をなでると終了。耳の遠い母との会話を楽しみながら、昔を思い出した。小学生の頃までは、母に髪をカットしてもらっていたが、今や逆の立場になった。鏡を手にして満足そうな母。次回は眉を描き、紅でも差してあげようか? 奇麗に化粧し、喜ぶ姿を想像すると気持ちも膨らんだ。職員に見守られ、玄関まで名残惜しそうに車椅子の母が見送る。たたずむ姿は心なしか小さく見えた。
  鹿屋市 中鶴裕子 2017/3/5 毎日新聞鹿児島版掲載

魅せられて

2017-03-08 17:18:46 | 岩国エッセイサロンより


2017年3月 7日 (火)
    岩国市  会 員   森重 和枝

 行きたい旅の一つに、2月の伊豆めぐりがある。河津桜と菜の花の続く土手を歩きたい。毎年、思いながらまだ行っていない。 
 今年は娘が「まずは近くに行こう」と上関城山歴史公園のさくらまつりに誘ってくれた。空は快晴。海抜35㍍から眺める海は青く輝き、満開の桜の枝に飛び交うヒヨドリやメジロに思わずスマホを向けシャッターを切る。遊歩道は整備され、まだ若木が多く、桜を愛する地元の人の努力が推察される。会場はにぎわい、青い海とピンクの桜、黄水仙の景色にうっとり。
 河津桜を満喫した楽しい一日だった。
     (2017.03.07 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

軍艦島に上陸して

2017-03-08 17:17:18 | はがき随筆
 旅仲間と世界遺産・軍艦島(端島)に上陸した。軍艦土佐に似ているのでその名がつけられたとのこと。1960年には広さ6.3㌶に5000人余の人が住み、人口密度は世界一だったといわれる。日本で初めての鉄筋の建物があって、学校、病院、お寺、映画館もあり、珍しいので長崎市から船でわざわざ見に来る人も多かったという。
 しかし、黒いダイヤと騒がれた石炭は時代の流れと共に石油へ。1974年に端島炭鉱は閉山し、今は無人島になっている。この島を離れた人たちは全国各地でどんな生活をされているのかなあと思うことでした。
  湧水町 本村守 2017/3/4 毎日新聞鹿児島版掲載

3人の師

2017-03-08 16:21:54 | はがき随筆
 私には3人の「師」がいます。1人目は海軍の将校だった父。敗戦後は苦難の連続だった彼からは<愚直さ>を学びました。2人目は難病で早世した自動車整備工の友。「生まれ変わってもまた親友で……」と言い残してくれた彼からは<信じきること>を学びました。そして3人目は七つ年下の妻。早くに父親を亡くした彼女からは<他人と比べず自分を生きること>を学びました。
 さて、3人とも世にいう名士ではありませんが、私にとって彼らは「宝」です。彼らに感謝しつつ、残りの人生を送りたいと考えてやみません。
  霧島市 久野茂樹 2017/3/3 毎日新聞鹿児島版掲載

スポットライト

2017-03-08 16:14:54 | 女の気持ち/男の気持ち
  3校目に赴任した中学校は荒れていた。3年生最初の授業では全員2階の美術室に入ってはいるが、チャイムが鳴っても私は全く無視されていた。とっさに教卓の上に立った私は「おー、よく見える」と全員を見まわした。
 前任校で特別支援学級の担任だった私は、階下の特別支援学級の生徒の姿を話した。「花園の水やりを約束すると、雨の日も水をやって約束を果たすぐらい純なんだ」。私たちには何が大切か熱弁した。「あんたは、えらい!」机に足を投げ出し腕組みした「男番長」が言った。
 ある日の休み時間、向かい側2階の2年生の教室から「せんせー」と1階1年生の教室の私に向かって手を振る女生徒たち。「先生もてるね!」と冷やかす1年生たち。「あの8人が問題の生徒たちだ」と生活指導主任が指示した8人だった。
 8人が3年に進級すると私は3年生の生徒指導係になった。8人は私としか会話をしなかったらしい。涙なしには聞けないつらい話を聞いた日もあった。
 「文化祭で劇をやろう」。8人のいる3年生に声を掛けた。「新男番長」はスポットライトの係に、8人の中のMは劇の主役になった。私は演出係を応援した。スポットライトを浴びたMのせりふはよく通った。
 幕が下りると私は舞台裏へと急いだ。「先生、どうだった?」とM。「良かった、とても良かった!」と私は両手を握りしめた。
 共に活動した喜びは広がり、彼らを素の顔に戻した。学校は落ち着きと静けさを取り戻した。
  鹿児島県出水市 中島征士 2017/3/2毎日新聞「男の気持ち」爛掲載

もちっ子の出番

2017-03-08 15:32:01 | はがき随筆
 年末には毎年「もちっ子」の出番がある。
 餅つき器の「もちっ子」は30年ほど前から働いてくれているが、人間の方は年々くたびれてきて心細い。それでもやはり手作りを仏様にお供えしたい思いで毎年頑張っている。スイッチひとつで「蒸す」「つく」をやってくれる「もちっ子」は優れ物だ。
 餅ができ上がるとお供え用にちぎる役目だが、それが意外と体力がいるのです。餅つきが終わると一年の締めを感じてほっとする。
 今年も年末には「もちっ子」の出番がありますように。
  鹿児島市 竹之内美知子 2017/3/2 毎日新聞鹿児島版掲載