垂水の町が焼けたのは終戦間近の8月5日。5歳の私はその日のことをよく覚えている。
昼頃、叔父の庭にいた。誰もいなくてシーンとしていた時に空襲警報のサイレンが鳴り出し爆音がとどろき、屋根をかすめるように飛行機が降りて行った。私は牛小屋に逃げ込み、子供心にも初めて恐怖を感じた。その後は伯母たちの入っている裏山(城山)の防空壕へ駆け上がったのだろう。壕の前の木によじ登って町が焼ける黒煙と赤い炎を見たのが忘れられない。垂水の戦災被害は死者91名、傷者62名とある。あの戦時下を無事に生き延びた命だとしみじみ思う。
霧島市 秋峯いくよ 2015/4/30 毎日新聞鹿児島版掲載
昼頃、叔父の庭にいた。誰もいなくてシーンとしていた時に空襲警報のサイレンが鳴り出し爆音がとどろき、屋根をかすめるように飛行機が降りて行った。私は牛小屋に逃げ込み、子供心にも初めて恐怖を感じた。その後は伯母たちの入っている裏山(城山)の防空壕へ駆け上がったのだろう。壕の前の木によじ登って町が焼ける黒煙と赤い炎を見たのが忘れられない。垂水の戦災被害は死者91名、傷者62名とある。あの戦時下を無事に生き延びた命だとしみじみ思う。
霧島市 秋峯いくよ 2015/4/30 毎日新聞鹿児島版掲載
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