私が小学生で8歳の時、夕暮れ時に父が晩酌の酒を買ってくるように言った。
店は、橋を渡り家から離れた所にあった。勇気を出して出かけた。帰り道、家路を急いでいたら、先を行く大人の姿があった。私はその人に近づき、共に歩いた。安心だったからだ。男性だった。その人はやさしく話しかけた。
家の近くに来たので「右へ曲がりますので、さようなら」と言ったら、当時の金で百円札を小遣いにとわたされた。暗いので、顔も姿も覚えていない。手先だけを思い出します。
一生忘れない感謝の心。
肝付町 鳥取部京子(69) 2008/11/7 毎日新聞鹿児島版掲載
店は、橋を渡り家から離れた所にあった。勇気を出して出かけた。帰り道、家路を急いでいたら、先を行く大人の姿があった。私はその人に近づき、共に歩いた。安心だったからだ。男性だった。その人はやさしく話しかけた。
家の近くに来たので「右へ曲がりますので、さようなら」と言ったら、当時の金で百円札を小遣いにとわたされた。暗いので、顔も姿も覚えていない。手先だけを思い出します。
一生忘れない感謝の心。
肝付町 鳥取部京子(69) 2008/11/7 毎日新聞鹿児島版掲載
それにしても夕方の子供のお使いは心配ですね。
昔は子どもが、お使いに行くのは、あたり前の事でしたが、少子化時代の今は、王子様、お姫様のように大切に育てられ「お使い」に行かされる機会なんてあるのでしょうか。
豊かな時代に生きる現代っ子よりも、親も子も必死に生きていた貧しい時代の方が親子の絆は深かったように思いますね。