父が逝ったときの年齢に達した今年の誕生日。いつになく深い感慨を覚える。
あのころの父は年相応の「老い」も感じられたが、若いつもりでも自分もはた目には年相応かな……と鏡に映るそれなりの姿に納得、である。
父は筆まめな人で、娘の私が嫁いでからの居住先々に、家族の近況やふるさとの四季の移り変わりなど、筆やペンの端正な文字で便せん数枚にしたため分厚い封筒を送り続けてくれた。
形見となった父の最期の手紙を、三十数年の時を経た今でも、文箱を開ける勇気のない、父恋しの娘……。
鹿屋市 神田橋弘子(71) 2008/10/1 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はparusさん
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