季節の移ろい・出来事
栗飯や 病人ながら 大食らい 子規
お腹がすく。病人といえどもお腹はすく。大食漢であったという正岡子規の心情。
食欲をそそるこの時期を象徴する、簡潔にして明瞭な一句である
手間暇かけて栗の渋皮煮が出来つつある。
大粒の栗が売られているお店へ、朝からわざわざ買い出し。その中からさらに大きい粒よりを選ぶ。先ず鬼皮を剥く。これが大仕事。内側の渋皮を傷つけないよう、丁寧に、後生大事に鬼皮を取り除く。包丁持つ手がしびれる。と、言うのを黙って聞いている。
栗ご飯やお煮しめに使うのなら、鬼皮・渋皮一緒に剥いて、中の実だけを取り出せばいい。
そう簡単に行かないところに、渋皮煮の深い味わいと上品さがある。と、食べる人が言う。
火にかけて、炭酸を入れ煮込む。次々出てくる泡を、付きっきりですくっては捨てる。
これ以上はこの目で確かめてはいないが、まだまだ相当な手間がかかりそう。
出来上がったのを賞味するするのは明日の午後になるのだろう。
それにしても、あのフン詰まりになりそうな渋皮をつけたままの栗を煮込んで、姿・形をを崩さないまま、名状しがたい味に仕上げるなどを誰が考えたのだろうか。
よほど口の肥えた宮中人が、気まぐれに所望した栗の美味しい食べ方に、料理人が必死に応えようとして編み出したものか。
それとも、愛する君に格別美味しいものを食べさせようと、甲斐甲斐しく思いを巡らせるうちに編み出されたものなのだろうか。
単に、ネットからレシピを取り出してプリントしただけのこの身。
ひたすら低姿勢で有り難く頂くことにしよう。
世の中ちょっとやぶにらみブログからお借りしました。
こうして掲載して頂きまして、鹿児島方面の皆様にも目を通して頂けることを大変嬉しく思っています。
益々磨きをかけなければ、と思ってはいるのですがなかなかその通りになりません。
相も変わらぬ勝手な思いつきブログですが、どうぞ今後ともお導きくださいませ。
「味も香りもいつもと変わらない美味しいフェイジョア・・・」まだ見たことのないフルーツですが、おいしそうですね。
ただ、昨年冬の冷え込みや、この夏の暑さなどで、生りものは全体的に不作の年のようで残念なことです。
季節の変わり目、どうぞ御自愛くださいませ。
栗は大好きですが、皮むきが苦手…と言うアカショウビンです。
渋皮煮の美味しさは魅力なのですが、挑戦した事がありません。
専ら食べる人に徹して、友人の手作りを当てにしています。今年も頂きました。
美味しかったです。
フェイジョアは古くからある果物ですが、未だにマイナーですね。
今年は実は少ないですが、摘果せずに成り放題に慣らせた年に較べ、実は太っているようです。
これからしばらくは、落ちた実を拾うのが毎朝の日課になります。