好奇心旺盛な母だった。戦前は北京で暮らし、戦後は40歳を過ぎて洋裁学校に通い、若い人たちと一緒に学んだ。近所の学生たちを招いて麻雀とダンスも習った。麻雀で母は「ポン」と叫び身を乗り出すと、かつらが台の上に転がり、3人はびっくり仰天。自分も驚いたと、ちゃめっ気たっぷりに話していた。
母は2月に103歳で旅立った。葬儀の献奏曲に母が好きだった童謡「ふるさと」をリクエストした。2人の女性がバイオリンとフルートで厳かに演奏したが、涙があふれてとまらない。私は促されて、やっと遺族を代表してあいさつした。
鹿児島市 田中健一郎(81) 2019/5/9 毎日新聞鹿児島版掲載
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます