はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

名曲

2016-12-10 14:30:39 | はがき随筆
 もう14年ほど前になるだろうか、T小学校の運動会のダンス表現運動は「世界に一つだけの花」。曲に合わせて、1.2.3年生で力を合わせて踊った。
 ピンクの広く大きな布をみんなで持ち上げ、世界に一つだけの花を咲かせた後、その布の中にパッと入り隠れて、フィナーレを飾った。拍手喝采。
この曲は私も子どもたちも大好きで、朝の会、帰りの会、音楽の時間など教室でもよく歌った。
 子どもたちの笑顔と共に思い出す、いつまでも心の中に生き続ける応援歌、すばらしい名曲をありがとう。
 出水市 山岡淳子 2016/2/2 毎日新聞鹿児島版掲載

サシバの渡り

2016-12-10 14:20:29 | はがき随筆


 10月10日快晴。台風や雨天後の快晴。一気にサシバが飛び立ち、大きなタカ柱が見られる期待感でいっぱい。
 夜明け前、宮崎県都城市の金御岳へ向かう。現地に着くとすでに立派な双眼鏡がずらーり。多くの野鳥ファンが陣取っている。
 やがて、眼下の深い森のあちこちから、サシバが上昇するたび歓声があがる。されが群れとなり大きなタカ柱のショーとなる。今日、7544羽の渡りがカウントされた。
 生息地の開発、農薬散布によるえさの減少。謙虚に生きよと教えられている気がする。
  垂水市 竹之内政子 2016/12/1 毎日新聞鹿児島版掲載

変わりました

2016-12-10 14:09:00 | はがき随筆
 ある時期、若い人は料理に鋏しか使わないと聞いたことがある。それを心外と眉をひそめた主婦の一人だった私が、その料理鋏に頼りっきりの毎日を送っている。硬く大きな野菜には包丁を使うが、まな板なしで使える鋏はとても便利な代物だ。1人分の食事作りは量的に少なくてすむし、一昔前ならお小言ものかも知れない行為を、最近は当たり前のようにやっている。
 世も変わり、私も変わったものである。切れ味も良く、油断をすると指が切れそうな料理鋏。少し緊張しながら、楽しみながら使っている。あのチョキチョキ感につられて。
  霧島市 口町円子 2016/11/30 毎日新聞鹿児島版掲載

母と子のリレー

2016-12-10 14:02:46 | はがき随筆
 私64歳。66歳になったばかりで突然逝ってしまった母の年齢に近づいてきた。19年前のお正月に、3月に予定日でった初孫を身ごもっていた私に「裕子ちゃん、きっといい子がうまれるよ」と帰り際にそっと言ってくれた母。その母が逝ってしまって、2週間後に娘が生まれた。「初孫を見せるのが間に合わなくて、ごめん!」と泣いたらお腹の子がドンと蹴った。お葬式でもドンドン蹴ってきた。「泣くな母ちゃん」と言っているようだった。天国の母と子供のリレーのようだと感じた。ずっと2人に励まされていたのだなあとしみじみ感じている。
  鹿児島市 萩原裕子 2016/11/29 毎日新聞鹿児島版掲載

コラージュ

2016-12-10 13:42:14 | はがき随筆


 本欄「はがき随筆」の随友Tさんがすてきなコラージュを送ってくださった。中尊寺の紅葉、尾瀬の美しい景色。随所にTさんの思い入れを感じる。
 コラージュ。「フランス語『糊づけ』の意。新聞・写真・広告などを切りぬいて画面にはりつける現代絵画の一手法」。折しも本紙に「東条英機と勝田永吉」2人の白黒写真の下にコラージュ・○○と校正者の名前が記されていた。美術だけでなく実用面にも活用されている。
 今思えば子供の頃、折り紙やあき箱の図柄を切りぬいて画用紙にはりつけていたのもコラージュといえるかも。
  鹿児島市 内山陽子 2016/11/28 毎日新聞鹿児島版掲載

本番の日

2016-12-10 13:33:20 | はがき随筆
7曲ともひき終えたとき、先ほどまで覆いかぶさっていた重苦しい気分はもうなかった。
 7月末から練習を始めたが8月は暑さに負け、9月はあっという間に過ぎ、10月になって慌てた。それほど練習しなくてもよいのでは、とふんでいたのが間違いだった。いっこうに仕上がらず焦った。詰めて練習すると手や肩が痛く首はコチコチになって目まいまでした。お断りした方がよいのではと悩んだ。
 市内が一望できる城山観光ホテルの華やかな雰囲気に包まれてハープをひいた。拙い演奏しかできなかったのに、何故か満足感を味わった。
  鹿児島 馬渡浩子 2016/11/27 毎日新聞鹿児島版掲載

山の伝達手段

2016-12-10 13:27:38 | はがき随筆
 お天気に恵まれた文化の日、夫と高千穂登山に出掛けた。毎年この時期は登山者の多い高千穂河原からではなく宮崎県高原町から登る。9月に自宅近くで滑って転び、膝を痛めた私は、無理のない程度に登ることにした。樹林帯の多いなだらかな登山道はひっそりとして心が洗われる。1時間半ほど登った標高1000㍍あたりで膝が痛み出し下山することにした。携帯電話を持たない私はそばの標識に「10時半下山する」と書いたメモを挟んでいたが、夫が下山するときは見当たらず、代わりに私が途中で話した登山者が伝言してくださったとのこと。
  鹿児島市 斎藤三千代 2016/11/26 毎日新聞鹿児島版掲載

初舞台の演奏

2016-12-10 13:06:01 | はがき随筆


 知人に誘われて、7月からダラブッカのシニアクラスに通い始めた。ダラブッカとは中近東の代表的な打楽器。馬上杯のような形で、椅子に座りひざに載せて演奏する片面太鼓だ。
 左右の素手で、鼓面の中央と2カ所の縁を打ち分けてたたくと、ドン・タ・カの音が響く。2・4・10の拍子の基本リズムを習った頃に「9月に鹿児島市文第一ホールの舞台に上がります」と先生から告知があった。
 車の教習生が、いきなり高速道路を走れと言われたようなものだ。6人の仲間と特訓を重ね初ステージに。演奏内容はともかく、舞台度胸だけはついた。
  鹿児島市 高橋誠 2016/11/25 毎日新聞鹿児島版掲載 画像はネットより

はがき随筆10月度

2016-12-10 12:57:38 | 受賞作品
はがき随筆10月度月間賞は次の皆さんでした。
 【優秀作】3日「駅長ニャン太郎」小向井一成=さつま町宮之城屋地
【佳作】5日「雨の音」山下秀雄=出水市西出水町
▽18日「スカイプ」下内幸一=鹿児島市紫原


「駅長ニャン太郎」は、聴覚障害の若い2人づれと、心の通う意思の疎通ができた喜びが書かれています。そのきっかけを作ったのは、肥薩線の古い駅の駅長に任命されている可愛らしい猫でした。はじめは躊躇していましたが、障害者だから会話はできないと思いこむのではなく、一歩を踏み出した結果が、暖かい文章になっています。
 「雨の音」 近くの学校の「水滴石をも穿つ」という垂れ幕は、日ごろのたゆみない努力の大事さを教えたものですが、そこから起こる連想が書かれています。大きな雨音からは、熊本の被災地の方々の苦労が、そこから被災者の日常の復帰への道のりへの同情、そして僅かな水滴が落ちるような日々をくり返すことのできる自分の幸福を今更のように感謝されています。
 「スカイプ」 この随筆ではお孫さんの可愛さがよく素材になりますが、今度はテレビ電話での2人のお孫さんとの会話です。文明の利器の利用には、拒絶される方も重宝される方も、それこそ人それぞれですが、離れた相手の顔を見ながら話ができる。それが当然のことのように私達の日常の生活に入り込んでいることには、軽い驚きを感じます。
 この他に3編を紹介します。
 有村好一さんの「立ち寄り湯」は、日当山温泉でスウェーデン人の青年に会うと、温泉が好きで指宿に行くという。自分の住んでいる街なので、方々を案内してあげたら喜んで帰って行ったという、心温まる内容です。
 高橋誠さんの「スペイン語辞典」は、毎日ペンクラブの勉強会の際、スペイン語辞書の忘れものがあり、スペイン語を勉強している奥さまに持ち主を探させようとしたら、偶然それは奥さまのものでした。
 野崎正昭さんの「からいも神様」は、なんとなくおろそかにされがちなサツマイモ礼賛の文章です。大飢饉のときも薩摩藩からは「からいも」のために餓死者は出なかったという。山川の徳光神社や千葉の昆陽神社など、いも神様は大事に祭られている。
  鹿児島大学名誉教授 石田忠彦

その日を待つ

2016-12-10 12:34:33 | はがき随筆
 大リーグはポストシリーズに突入。熱戦が続いている。うれしいことに、リタイアしたぼくたちにはリアルタイムで映像が見られる。早朝から昼すぎまで、力勝負から目が離せない。長時間の観戦はなかなかの重労働だが、好きだから耐えられる。横で船をこぐ妻も喚声で我に返る。そして、ぼくたち2人が一日千秋の思いで待ち望んでいるのが、その舞台に大谷投手がたつことだ。もちろん2人で応援に行く。西海岸の球場がいいなどと勝手なことを言いながら……。その夢のためには、2人とも健康保持に努めなくてはならない。勇姿を見るためだ。
  志布志市 若宮庸成 2011/11/23 毎日新聞鹿児島版掲載

猫様イークン君臨

2016-12-10 12:14:46 | はがき随筆






 猫様イークンが満5歳を迎えた。人間に換算すると40歳に相当するそうだ。年を重ねるごとに態度が大きくなっている。
 食事の催促も「オレ様は腹がすいているのだ」と言っているかのように低い声で「ニャーオン」と私の顔を見上げる。
 「ハイ、ハイただいま」食事係の私は直ちに食器に入れて差し上げる。さらにケズリブシの味を覚えたイークンは、食事を中断して、何か言いたげに、今度はカミさんを見上げる。
 「そう、ケズリブシも欲しいの、分かりました」。カミさんも言いなりだ。かくしてイークンは王様として君臨している。
  西之表市 武田静瞭 2016/11/22 毎日新聞鹿児島版掲載

子に教えられる

2016-12-10 12:08:47 | はがき随筆
 娘が食事に誘ってくれた。「何か食べたいものある?」「そーねー」……。
 カウンターで揚げ立ての天ぷらを勧めてくれた。
 「油っぽくない?」と余計な一言。「もっとモチベーションを上げてよ」と娘は不満そう。子に教えられることでした。「ごめんごめん揚げ立ておいしそうね」と盛り上げる。一人暮らしの自由さは、ついわがままが飛び出し反省する。そして娘はとびきり上等の天ぷらをごちそうしてくれた。
 「老いては子に従え」。もっと素直な気持ちを持たねばと教えられる。
 鹿児島市 竹之内美知子 2016/11/21 毎日新聞鹿児島版掲載

母娘の涙

2016-12-10 12:01:16 | 女の気持ち/男の気持ち
 娘の家族に会いたい一心で、この夏、モロッコに一人で出かけた。2年ぶりに会った孫娘、ナディアが「バーバ、ママは年2回は泣くよ」と言った。
娘が小学5年の時に夫が急死。公舎を引き揚げ、転校した先で、仲間はずれにされていると知った時のことを思い出した。悲しみと怒りで母娘抱き合って泣いた。彼女の背をなでながら何としても強い子に育てよう、もう泣くまいと決めた。
 大学在学中のニュージーランドでのワーキングホリデー。長男が働いていたタイへの1人旅。大学卒業後は中国の大学へ留学。そこでモロッコの青年と知り合い結婚、と一人立ちの準備は万全だと思っていた。
 「なぜ泣くの?」「だって、お母さんがそばにいないんだもの」「そうか……。私が来ればいいのね」「バーバ、来るの? バ゛ンザーイ」。パパの所へ走って行ったナディアが「パパもさんせいだって、よかったね」と大喜び。
 娘は私が母の老後ほ見たように、自分も私を見たいという。「ありがとう」。涙を封じて34年。再び涙があふれ出てきた。私は土倉を望んでいる。大地に横たわり、静かに目を閉じる。深紅のバラを供えられた墓の下で、ゆっくとりアフリカの土になっていく姿を想像している。
 鹿児島県阿久根市 別枝由井 2016/11/24 毎日新聞鹿児島版「女の気持」爛掲載

バジリンピック

2016-12-10 12:00:34 | はがき随筆
 秋、鹿児島市紫原校区高齢者クラブ、第32回運動の集い。
 寄りも寄ったり10ダースのバーとジー。6組に分かれて競う種目は「ゆっくりいそげ」「だいやめ」「スマートで行こう」など10種類。「どれに出ますか?」と聞かれて「全部出る」と答えた私は83歳。さすがにフラダンスは踊れなかった。
 この団地は古い団地で、小学校は創立52周年とあるので、開校当時の私はまだ高齢者ではなく、住宅ローンということばも知らず国金と言っていたはず。
 そうなると、当時の小学生は団塊の世代となるわけか。「くわばら、くわばら」
  鹿児島市 高野幸祐 2016/11/24 毎日新聞鹿児島版掲載

柿に亡き家族の記憶

2016-12-07 19:42:35 | 岩国エッセイサロンより
2016年12月 2日 (金)
    岩国市   会 員   横山恵子

 景色に初冬の趣を感じる頃となり、店先には季節の果物が並んでいる。亡父は渋抜きをした「あおし柿」が特に好きだった。
 渋抜きに炭酸ガスやアルコールが使われるようになったのは、いつ頃からだろうか。私たちが子どもの頃、父はたるの中に柿を入れて湯を張り、それを風呂の残り湯の上に一晩置いて渋抜きをしていた。
 ほんのりとぬくもりのある柿は、格別のおいしさだった。父が「果物の中で、これが一番じゃ」と頬張っていた姿を思い出す。
 祖父が雨の中、畑仕事から帰るなり寝込んでしまい、祖母が心配していたら、実は黙ってあおし柿を18個食べていた、という話は、祖父母亡き後も語り草になっている。
 わが家の柿の木は1年置きに実を付けている。今年は数えるくらいしかできなかったのに、はとんどはカラスヘのお歳暮となった。
 葉が散ってしまった木を見ると、「今年も残り少なくなったなあ」と一抹の寂しさを感じる。

      (2016.12.02 中国新聞「広場」掲載)