東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

トマス・アクィナス〜アリストテレスとヘーゲルを繋ぐもの〜

2024-10-19 18:49:38 | トマス・アクィナス
 トマス・アクィナス(1225〜1274)
 「......「スコラ哲学の王」と言われる中世最大の体系家。......その当時、アラビアユダヤ哲学を介して西欧に入り来ったアリストテレスに集約せられるギリシャ哲学の合理主義を、キリスト教会の伝統と総合し異教に優越する信仰を論理的に基礎づける。......」(哲学人名辞典 アテネ文庫

 トマス・アクィナスについて、現在の自身の思いを述べる。

 アリストテレスとヘーゲルをつなぐ存在。弁証法の発展において、アリストテレス弁証法を西洋文化に返り咲かせ、へーゲル弁証法への道を拓いた偉大な哲学者。と知識ではあるが、未だにイメージが描ききれていない。

 にもかかわらず、何故にトマス・アクィナスの学びを!となっているのか、といえば、自身の人間体鍛錬の実践に関わる。

 今回のテーマではないので、アバウトに述べるならば、人間体を鍛えるにも、それゆえ病からの人間体の回復過程においても系統発生を繰り返すことが必要であろうとの思いで、泳ぐこと。四足の鍛錬。木に登ること。そこからの二足の鍛錬。という形で、自身の人間体の再構築をこの10年以上も行ってきた。

 しかしながら、二足の鍛錬の段階に至って鍛錬が進むと膝や腰の古傷が痛む、そのことで運動ができなくなる。そしてまた一から繰り返しということを繰り返していた。

 もうこの辺りが年齢的にも限界なのか!との思いがよぎることも一度や二度はなくであったのが、今春、偶然のことで出会った。「股関節重心」の実践で嘘のように膝の痛みが止まり、曲がらなかった膝もほぼ正座ができるようになり、ほぼ毎朝の1時間余の山での鍛錬。週に一度の棒術とバドミントン。月に一回程度のムエタイ。等々の運動にも一度も膝や腰が痛むこともなく、また耳鳴り。喘息。右上肢の血行不良による指先が白くなること。も止まっている状態である。

 そこから人間体の鍛錬において四足から二足への過程に欠けたものがあったのだ。それが股関節重心であったのだとの気づきがあった。

 これは生命の歴史を振り返ってみても、猿は木から降りていきなり立ち上がってしっかりと歩き出せたわけではなく、木から降りて登ってを繰り返す。何十万年もの月日が必要であったことを考えれば当然といえば当然のことなのであるけれども......。

 その四足と二足を繋ぐ「股関節重心」と論理的に同じ位置づけにあるのがアリストテレスとヘーゲルをつなぐトマス・アクィナスなのだろうとの思いがある。それゆえのトマス・アクィナスをしっかり学んでおきたいである。

 今回から音声入力を利用してのブログ更新である。現在パソコンが使える状態でなく、スマホでの更新なので、これは随分と助かるマメに更新できるかと思う。


 

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6 コメント

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Unknown (小竜)
2024-10-20 07:19:18
私が何か余計なコメントすると伏龍先生が書きたかったことを変更しなければならなくなるみたいで発言を控えようかとも考えていますが…

しかし、伏龍先生が突然にトマス・アクィナスについて書き出したのには驚きましたが、私はまったく伏龍先生のおっしゃるような「アクィナスについて造詣が深い」なんて人間ではなく、「中央公論社の世界の名著に入ってるくらいの歴史的な論者だから読んでおこうか?」ぐらいのミーハーというかマニアックというかな人間ですので、伏龍先生との邂逅で「またアクィナスでも読んでみようか」と動機づけられたのは全くもって《人間》というものは他者との関わりの中で生きているのだと痛感するところです(汗)。

伏龍先生のいう「股関節重心」というのを私は知らなかったのですが、少しだけ調べたらYouTubeだとかで動画がたくさん出てるみたいですね。ダンスだとかゴルフだとかの種目を超えた「身体操作の極意」みたいな感じでやられていて、間違いじゃなかったら始まりはモダンバレエの先生なんですかね?
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Unknown (kagakuteki-sinkyuron)
2024-10-20 09:57:52
コメントありがとうございます。小竜先生のコメントが私の邪魔をする、というのは大きな誤解です。返って、自身のインスピレーションの元となってくれ、また対象の理解の深まりを促すものと思っています。

股関節重心についてはしっかりと説くつもりですけれども、youtubeで説かれる股関節重心は形式としては同じですが、その意義の捉え方はyoutubeで説かれるものとは全く別物です。

ただ、そのこと=股関節重心ということに気づかせてくれた、そのきっかけを与えていただいたということから敬意を表して股関節重心とよんでいるとご理解ください。

詳細は改めて🙏
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Unknown (小竜)
2024-10-20 13:12:36
しかし、伏龍先生の股関節重心との関わりも何というか、加齢に抗して更なる鍛錬をするためというのが驚きです。

これは「医療」というより「エンハンスメント」でしょうね。何年か前に私もエンハンスメントについての哲学的な議論を聴くために駒場の哲学者の集いに行ったものですが…

医療的なリハビリも日常生活が送れることを最終目的にするのでしょうから、そこは何ら不自由のない伏龍先生が「山での鍛錬をするために」というのは、おそらくは医療機関では受け入れられないのでは?

私も格闘技の練習で肋骨を骨折したときに受診した整形外科で「格闘技の練習での骨折」だとの理由を知った放射線技師が胸部のレントゲンを撮るときに「ズボンを脱いでパンツになって」なんて私に指示を出して、終わった後で「何か変だな?」と気づいた私が院長に「お宅の病院は理由もなしに患者に服を脱がせるのか!」と苦情を言ったら、次回から女性の放射線技師に変わっていたことがありましたよ。
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Unknown (kagakuteki-sinkyuron)
2024-10-20 14:20:44
自身の武術修業は、WRCに参戦優勝を目指す開発が市販車にフィードバックされる、そういうイメージです😁
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Unknown (小竜)
2024-10-21 06:13:28
いや、しかし、伏龍先生とは多少の意見の違いはあっても実に馬が合うというか、気が合う友人だという感じをしています、私(笑)。

「膝の痛みに股関節」というのは東京で「膝の痛みに足関節」を謳って開業されている先生の件と共に「治療をする人」としてはどうなのかな?という気もしないでもないですが…

いえね、伏龍先生が股関節重心で膝の痛みがなくなったという事実を否定するものでは全くありませんが、それは「伏龍先生の場合」という個別の事例で他の人には当てはまらないこともあるのではないかな?と思うわけです。

だから、患者の治療をする人は「先ずはアセスメント」といいますか、鍼灸的には「四診」というかも知れませんけど、「膝の痛み」と一口に言っても「何処がどうなのか?」という視診(望診)や、特に触診(切診)が重要で、筋・筋膜性疼痛への処置としたならば痛みを訴えている筋膜や筋肉が何処なのかを特定・評価しての手技療法でのほぐしではないか?と思うんです。

ですので、膝の痛みに対して股関節や足関節といった遠隔にアプローチするのは無意味とは思いませんけど、やはり局所へのアプローチこそが核心!といいますか、そんな思いを自分の膝痛との長年の付き合いから持っていますね。

伏龍先生のいう「系統発生的な鍛錬」というのも興味深いもので私が学んでいる身体運動にも似たような発想がありますね。「運動進化論」というんですが、師の著作権などありますから勝手にお話しは出来なくて残念ですけどね。

ただ、身体運動においては「個体発生と系統発生」という視座は昔からあったようで何十年も昔から東京大学や筑波大学だとかの体育学・身体運動科学の専門家が「個体発生的な研究」だとか「系統発生的な研究」の論文を書いてます。おそらくは、そうしたアカデミックな学術的流れも元々は海外からもたらされたものなのでしょうね。
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Unknown (kagakuteki-sinkyuron)
2024-10-21 08:23:16
コメントありがとうございます。膝を治療するのに股関節にアプローチ、というのは少し図式が違うというか、視点が違うというか。

端的には、膝を痛める使いかた=生活過程があるからの膝痛ととらえて、のです。

そういう意味では、一般的治療(瀬江千史先生の言われる)ととらえています。もちろん、小竜先生の言われるような膝痛に対しての直接的なアプローチ=特殊的治療も必要とは思います。(実際、この数年間に自身の膝痛に対しても、鍼灸、指圧、マッサージ、運動療法......経絡的アプローチ、食事療法......ありとあらゆることはやっています。)

詳細は、改めてブログで説かせていただきます🙏
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