(19/08/03 07:52のブログ再録、コメントあり)
「蜻蛉の構え」とは、示現流の構えで、通常の刀術でいうところの「八相の構え」に良く似た構えである。
昔々に、「蜻蛉の構え」というものを知った時には、「八相の構え」を示現流では「蜻蛉の構え」というのか、あるいは「受け無しの一撃必殺」を旨とするからの構えなのか、というくらいの認識しか持たなかった、持てなかった。
しかしながら、現在あらためて「蜻蛉の構え」ということを考えてみると、「蜻蛉の構え」というものを、(観念的に)ゾッとする恐さとともに見ることとなる。
その恐さの中身とは、一撃必殺的に斬りつけてくる刀術の恐さであり、それ以上にその背後の何があっても一歩も引かない、という気魄の熾烈さに対しての恐さである。
人間に関わるものごとは、その背後の認識を知ること無しには本当のことは分からない、そしてそのためには一般教養というものが求められるのだと、それらの大事性痛感される。
蜻蛉柄の花緒の雪駄。
江戸時代には、蜻蛉は前進しかしない蟲であるから縁起が良いとして武士階級に、文様が刀剣等の細工物に好んで使われたらしい。
そのような江戸時代の、武士の常識からすれば、「蜻蛉」といえば、一歩も引かない、不退転の決意の表れ、ということになるのでは......と。
この論じ方では、単なる知識でも説けるから。