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(承前)
これは別言するならば、何事も完成的には存在せず、一からの積み重ねの上に、の現在であるのだから、それを学ぶにあたっても一からの積み重ねが求められる、ということでもある。
「哲学の歴史を一身の上に繰り返す」(ディーツゲン)
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とはそういう学びである、と捉えている。
さて、話は飛んで、その「個体発生は系統発生をくり返す」ということを理論レベルでわかっていく、実践的に論理的事実を持っていくことで、それが自身にとっての信仰レベルの金言となっていって、何を為すにしても、そのまともな「習得から修得へ」を志す場合には、それを実践していく、ということになっていった。
例えば、手技療法術であれば、指圧マッサージから鍼灸、そして整体指圧へ。武術であれば、空手から居合、棒術、そして柔術へ。書であれば、行書から楷書、そしてかなへ......等々。
(「股関節重心」の問題も、自身の人間体の再構築のの実践を、「個体発生は系統発生をくり返す」となすべく取り組んでいく中での発見、であった。)
この場合、個の場合、歴史的な発展の順序そのままでは無い場合もあるのではあるが(ここの論理の理解は未だ浅いので、深めていかねばと思っているが)、必ずその分野の原点からの歴史性を知って、分かっての全体を見渡しての(上達が難しい場合は、その前の段階へ戻っての)系統発生の繰り返しを行うことを常として、であった。かつ現在においてもそうである。
そのおかげで人生における様々な学びに、それほど迷うこともなく実践を積み重ねていけている現在である。と思っている。(その成否は今だしではあるが......。)
ついでながら、この「個体発生は系統発生をくり返す」は、その原点はヘーゲルの『精神現象学 序論』あるいはもっと遡って、プラトンの『メノン』等にある、見えると思える。
興味のある方は一読されたい。