ライ麦パンを焼いた。伝わるものの意味を実践的に知っていくことの大事性実感された。
昨日は、衆議院選挙投票日ということで気分的に落ち着かず、(日本の現状、これからどうなってのだろうかとの大きな不安があっての、選挙結果はその行く末をわかるための一つの大きな鍵である。との思いから......)と言っても、それを自身ではどうすることもできず、(応援する政党、候補者への投票と X やブログで応援するくらいしか)であったので、モヤモヤした気持ちで何も手につかずで、そこで思い切ってブログ更新、ライ麦パン作り、ペンクリニックへ出かける等々、普段それほどに時間が取れないことに過ごした。
さて、そのライ麦パン作り。出かけた時の食として、作らねば何もない時のための常備食としても、そんな時に添加物まみれのコンビニ食やファーストフードでは体調を崩しかねない!との思いがあるので、数年前からライ麦パンを焼いて、常備している。
昨日は、弟のモチモチ食感のパンが焼けないか?との希望を聞いて、高加水(加水率100%)のライ麦パンを焼いた。
その作業の中でパンの表面に水を塗る、あるいは霧吹きでたっぷりと水を吹きつける。という工程があるのだが、昨日はそこをカットしての、であった。(そうするもの、とのことでこれまでやっていたのではあったが、昨日のパンは高加水であるがゆえに、不要ではないのかとの思いで)
しかしながら、結果としてパンはちゃんと美味しく焼けたものの、表面が強く焦げて、硬い層ができてしまった。
そのことから、多量の水を塗ったり、吹きかけたりするのは、要は表面を焦がさないためであったのか!?と。伝わるものの意味が自身の事実を通して実感レベルで分かることが出来た。
要するに、(何事においても)昔から長い年月に耐えて伝わり続けるものには、伝わるだけの意味があるのだ。それゆえに、その取捨選択はそれを論理的に考えてみて、だけでは不足で、実践的に試してみての、でなければならないのだ、と。
これは鍼灸、指圧、整体等の手技療法術についても全く同じことだな、と思えた。心して学んでいきたい。