『標準漢方医学入門』(丁宗鐡 小野村雅久共著 薬事日報社)にざっと目を通した。他国の文化に学ぶには、その文化の特殊性を踏まえねばならないということ痛感させられた。
漢方についての理解が、自身の鍼灸という観点からの東洋医学の病理病証や脈診等々についての理解の行き詰まりを打開してくれるのでは、との思いで『標準漢方医学入門』に目を通した。
期待通りに、漢方という観点から説かれる東洋医学の諸々は、自身の東洋医学の理解を助けてくれると思え、改めてしっかり学ぼうと思うのだが、それ以上に、自身にとっては驚くべきことが述べられてあった。
曰く「中国人は本音と建てまえを使い分けることが上手な民族であるといわれている。多くの中医師は複雑な中医理念の実際に合わない部分は捨て、実用的なところを活用して治療にあたっている。日本人はそれができずに中医理論そのものを受け入れるかどうか悩んでしまうことがある。」と。
世界全体、森羅万象に一つの筋を通して説(解)ききることにこそ学問の真髄がある。との思いがあるだけに、自身にとって都合の良いところだけを受け入れて、それ以外は他の筋で説(解)くことを良しとする、ということに強烈な違和感を覚える。
同時に、『霊枢講義』の中の渋江抽斎による中国文化批判、端的には白髪三千丈的な誇張があるということ、を想起し、中国文化から学ぶには中国文化の特殊性もまた忘れてはならない。との思いした。
漢方についての理解が、自身の鍼灸という観点からの東洋医学の病理病証や脈診等々についての理解の行き詰まりを打開してくれるのでは、との思いで『標準漢方医学入門』に目を通した。
期待通りに、漢方という観点から説かれる東洋医学の諸々は、自身の東洋医学の理解を助けてくれると思え、改めてしっかり学ぼうと思うのだが、それ以上に、自身にとっては驚くべきことが述べられてあった。
曰く「中国人は本音と建てまえを使い分けることが上手な民族であるといわれている。多くの中医師は複雑な中医理念の実際に合わない部分は捨て、実用的なところを活用して治療にあたっている。日本人はそれができずに中医理論そのものを受け入れるかどうか悩んでしまうことがある。」と。
世界全体、森羅万象に一つの筋を通して説(解)ききることにこそ学問の真髄がある。との思いがあるだけに、自身にとって都合の良いところだけを受け入れて、それ以外は他の筋で説(解)くことを良しとする、ということに強烈な違和感を覚える。
同時に、『霊枢講義』の中の渋江抽斎による中国文化批判、端的には白髪三千丈的な誇張があるということ、を想起し、中国文化から学ぶには中国文化の特殊性もまた忘れてはならない。との思いした。