「流れがわかる!メディカルハーブと医療の歴史」(山崎なつ子 著 Kindle 版)読んだ。医療に歴史がある様に、病気にも歴史性があると捉える必要性痛感する。
ガレノスとアロマテラピーとの関連、ガレノスがアロマテラピーをどのように捉えていたのかを知りたくて、「流れがわかる!メディカルハーブと医療の歴史」(山崎なつ子 著 Kindle 版)読んだ。
ガレノスとアロマテラピーとの関連についてある程度説いてくれているし、個々の記述内容の是非はともかく、古代からの世界の様々な医療を概観させてくれるので、興味深く読めた。
それはさておき、「三、古代西洋」の冒頭部分でこの著者は、「病気は、人類の始めからあったでしょうし」と、病気が始めからあったかの如く捉えている。これはこの著者の見解というより、世間の常識的な病気の捉えかたでもあると思う。
確かに、人間以前の動物においても病気という状態は存在するのであるから、病気は人類の始めからあったとも言える。
しかし、である。人間に固有の病気が存在するのであるから、例えば、文明病とか現代病と言われる病気が存在するのであるから、単純に「病気は、人類の始めからあった」としてしまってはならない筈である。
また、別の観点、病気を人間の認識実体が外界(自然、社会、精神)との相互浸透の結果として歪み、量質転化したものという観点から考えれば、人類の歴史と共に人類との相互浸透によって外界たる自然、社会、精神も歴史性を持って運動、変化していっているのであるから、その歴史性を持って運動、変化していっている自然、社会、精神との相互浸透によって生まれてくる病気もまた、人類の始まりのままではありえず、歴史性を持って運動、変化していっていると考えるべきだと思える。
例えば、大気汚染による喘息、学校でのいじめによる鬱、痩せる=美人という歪んだファッション文化によって起こる拒食症等々。昔昔の人類には無かった病気が、外界たる自然、社会、精神の運動、変化によって生まれているのであるから。
また、そういう観点から考えると、医療の歴史は、病気も歴史性を持って変化して行くからの、必要に迫られての発展という面がある、敢えて言えば、病気の発展があってこその医療の発展であるのではと思える。
ガレノスとアロマテラピーとの関連、ガレノスがアロマテラピーをどのように捉えていたのかを知りたくて、「流れがわかる!メディカルハーブと医療の歴史」(山崎なつ子 著 Kindle 版)読んだ。
ガレノスとアロマテラピーとの関連についてある程度説いてくれているし、個々の記述内容の是非はともかく、古代からの世界の様々な医療を概観させてくれるので、興味深く読めた。
それはさておき、「三、古代西洋」の冒頭部分でこの著者は、「病気は、人類の始めからあったでしょうし」と、病気が始めからあったかの如く捉えている。これはこの著者の見解というより、世間の常識的な病気の捉えかたでもあると思う。
確かに、人間以前の動物においても病気という状態は存在するのであるから、病気は人類の始めからあったとも言える。
しかし、である。人間に固有の病気が存在するのであるから、例えば、文明病とか現代病と言われる病気が存在するのであるから、単純に「病気は、人類の始めからあった」としてしまってはならない筈である。
また、別の観点、病気を人間の認識実体が外界(自然、社会、精神)との相互浸透の結果として歪み、量質転化したものという観点から考えれば、人類の歴史と共に人類との相互浸透によって外界たる自然、社会、精神も歴史性を持って運動、変化していっているのであるから、その歴史性を持って運動、変化していっている自然、社会、精神との相互浸透によって生まれてくる病気もまた、人類の始まりのままではありえず、歴史性を持って運動、変化していっていると考えるべきだと思える。
例えば、大気汚染による喘息、学校でのいじめによる鬱、痩せる=美人という歪んだファッション文化によって起こる拒食症等々。昔昔の人類には無かった病気が、外界たる自然、社会、精神の運動、変化によって生まれているのであるから。
また、そういう観点から考えると、医療の歴史は、病気も歴史性を持って変化して行くからの、必要に迫られての発展という面がある、敢えて言えば、病気の発展があってこその医療の発展であるのではと思える。