Sham円皮鍼を使った実験?に参加することになった。専門分野の確立とは何か?と問うことの必要性痛感する。
先日、鍼の効果を科学的根拠に基づいて証明するための実験ということで「Sham円皮鍼の信頼性に関する再検討」という実証実験への参加要請があり、参加することにした。
この実験は要するに、これまで、「Cham円皮鍼を使ってのダブルブラインドテストによって、鍼の効果を証明した実験」が数多くあるが、「Cham円皮鍼でキチンとマスキングが出来ているのか?の検証がなされていない」からの、「そもそもCham円皮鍼によるマスキング=ブラインドテストが出来るのか?」という実証実験だと捉えた。
確かに、そもそもCham円皮鍼でのマスキングが可能かどうかの検証も無しに、Cham円皮鍼でのテストを行って、ブラインドテストで検証したから鍼に効果がある!というのは無茶な話であり、その意味では「Sham円皮鍼の信頼性に関する再検討」は意義あることと思える。
これは、鍼灸も、現代という時代・社会にあっては、昔のように実際に効くということだけを唯一の根拠に正当性を主張することには無理があり、効くということにも、本当に効いたという西洋医学的な証明が必要とされるということであろうと思える。
そしてそれ以上に、科学的根拠に基づいての鍼灸の効果の証明によって、多くの鍼灸師の感じている、西洋医学より数段低く見られている、西洋医学に携わる人々からはもちろん、社会的にも。という現状を変えていきたい。というのが本当のところであろうと思える。別言すれば、現状のままでは、鍼灸は衰退して行って、消滅してしまうのではとの危機感があるのだと思う。
しかし、である。鍼灸を西洋医学や他の専門分野の人々に、また社会的に認めてもらうということは、鍼灸が他の専門分野と対等の存在の専門分野であると認めてもらうということであり、それはブラインドテスト等での鍼灸の効果の科学的根拠に基づいての証明では成し得ないのではないかと思える。
例えば、変な喩えではあるが、どこかの原住民の使っている薬草が癌の特効薬であることが科学的根拠に基づいて証明されたとして、ではその原住民を私たちは、また西洋医学を専門とする人々は、見事だと褒め、尊敬するだろうか?ということである。そんなことは絶対にあり得ないはずである。効果があれば、役に立つならばそれを利用はするだろうけれども。である。
ではどうすれば良いのか?他の分野の学問の歴史に尋ねるならば、それは、鍼灸の科学的理論の構築以外にあり得ないと思える。例えば、薄井先生が科学的な看護学を確立されることで、看護が一つの専門分野として認められ、それまで医者の助手でしかなかった看護婦が専門職として認められるようになっていき、現代においては、まともな医師ならば、看護師に対して、看護にかかわっての口出しをし無くなっていったようにである。
参考文献:「薄井坦子の科学的看護論成立過程に関する研究」(山崎智代 著)
先日、鍼の効果を科学的根拠に基づいて証明するための実験ということで「Sham円皮鍼の信頼性に関する再検討」という実証実験への参加要請があり、参加することにした。
この実験は要するに、これまで、「Cham円皮鍼を使ってのダブルブラインドテストによって、鍼の効果を証明した実験」が数多くあるが、「Cham円皮鍼でキチンとマスキングが出来ているのか?の検証がなされていない」からの、「そもそもCham円皮鍼によるマスキング=ブラインドテストが出来るのか?」という実証実験だと捉えた。
確かに、そもそもCham円皮鍼でのマスキングが可能かどうかの検証も無しに、Cham円皮鍼でのテストを行って、ブラインドテストで検証したから鍼に効果がある!というのは無茶な話であり、その意味では「Sham円皮鍼の信頼性に関する再検討」は意義あることと思える。
これは、鍼灸も、現代という時代・社会にあっては、昔のように実際に効くということだけを唯一の根拠に正当性を主張することには無理があり、効くということにも、本当に効いたという西洋医学的な証明が必要とされるということであろうと思える。
そしてそれ以上に、科学的根拠に基づいての鍼灸の効果の証明によって、多くの鍼灸師の感じている、西洋医学より数段低く見られている、西洋医学に携わる人々からはもちろん、社会的にも。という現状を変えていきたい。というのが本当のところであろうと思える。別言すれば、現状のままでは、鍼灸は衰退して行って、消滅してしまうのではとの危機感があるのだと思う。
しかし、である。鍼灸を西洋医学や他の専門分野の人々に、また社会的に認めてもらうということは、鍼灸が他の専門分野と対等の存在の専門分野であると認めてもらうということであり、それはブラインドテスト等での鍼灸の効果の科学的根拠に基づいての証明では成し得ないのではないかと思える。
例えば、変な喩えではあるが、どこかの原住民の使っている薬草が癌の特効薬であることが科学的根拠に基づいて証明されたとして、ではその原住民を私たちは、また西洋医学を専門とする人々は、見事だと褒め、尊敬するだろうか?ということである。そんなことは絶対にあり得ないはずである。効果があれば、役に立つならばそれを利用はするだろうけれども。である。
ではどうすれば良いのか?他の分野の学問の歴史に尋ねるならば、それは、鍼灸の科学的理論の構築以外にあり得ないと思える。例えば、薄井先生が科学的な看護学を確立されることで、看護が一つの専門分野として認められ、それまで医者の助手でしかなかった看護婦が専門職として認められるようになっていき、現代においては、まともな医師ならば、看護師に対して、看護にかかわっての口出しをし無くなっていったようにである。
参考文献:「薄井坦子の科学的看護論成立過程に関する研究」(山崎智代 著)