ロジャースについて学んだ。彼は、自己概念(主観的な自己)と経験(客観的な自己)との乖離が心を病ませる大元であると捉え、自己一致ということが、自己概念と経験とが近似的に重なる様になっていくことをカウンセリングの目的とした。
そして、自己一致が心の病を癒して行くのは、人間が本来持っている「成長力」によると考えた。
フロイトの精神分析療法の目標である「カタルシス」は、自己の精神世界での自己一致と言えるのではと思える。
ロジャースは最初、フロイトに学んだということからすれば「自己一致」はロジャース流の「カタルシス」と言えるかもしれない。
フロイトとロジャースでは、その理論の基盤となる社会、時代が異なるからの違いも大きいのではと思える。
これは二重の意味で、フロイト、ロジャース自身の問題として、また、彼らの患者の、心の病の生まれる大元の問題として。
ロジャースの生きた20世紀のアメリカとフロイトの生きた19世紀から20世紀にかけてのオーストリアとでは、社会背景が大きく違う。
ロジャースの生きた時代、社会はフロイトの生きた時代、社会に比して資本主義の発展に伴っての物質的な世界の発展が著しいから、患者の心の病は、内面の世界の葛藤だけではなく、現実の物質世界で生きることによる自身の観念とその物質世界との乖離が問題となる、そこに葛藤が生まれるという時代性があったのではと思われる。
哲学、思想はその時代の哲学、思想であるとは、こういうことなのではと。
そして、自己一致が心の病を癒して行くのは、人間が本来持っている「成長力」によると考えた。
フロイトの精神分析療法の目標である「カタルシス」は、自己の精神世界での自己一致と言えるのではと思える。
ロジャースは最初、フロイトに学んだということからすれば「自己一致」はロジャース流の「カタルシス」と言えるかもしれない。
フロイトとロジャースでは、その理論の基盤となる社会、時代が異なるからの違いも大きいのではと思える。
これは二重の意味で、フロイト、ロジャース自身の問題として、また、彼らの患者の、心の病の生まれる大元の問題として。
ロジャースの生きた20世紀のアメリカとフロイトの生きた19世紀から20世紀にかけてのオーストリアとでは、社会背景が大きく違う。
ロジャースの生きた時代、社会はフロイトの生きた時代、社会に比して資本主義の発展に伴っての物質的な世界の発展が著しいから、患者の心の病は、内面の世界の葛藤だけではなく、現実の物質世界で生きることによる自身の観念とその物質世界との乖離が問題となる、そこに葛藤が生まれるという時代性があったのではと思われる。
哲学、思想はその時代の哲学、思想であるとは、こういうことなのではと。