昨年の11月から行っております児童文学作家の高科正信先生による文章たっぷりコースも、この日を含めてあと2回を残すのみとなりました。
このクラスはもともと少人数でしたが、途中から教室に来るのが難しい状況になり、オンラインで参加する方も多かったです。
先生の豊富な知識と、生徒さんたちの和気藹々とした雰囲気で、「高科ゼミ」という感じのこのクラス。もうすぐ終わると思うと名残惜しいです。
この日の “よもやま話”は、NHKでやっていた なかえよしを さんの番組のことでした。
なかえさんは、奥様の上野紀子さんと絵本『ねずみくんのチョッキ』のシリーズを1974年から36作出版してこられました。
ご夫妻は『ねずみくんのチョッキ』の前に、アメリカで『ぞうのボタン』という絵本を出版して評価されていたため
当時まだナンセンス絵本が受け入れられにくい日本でも、ポプラ社が出版に踏み切ったのだそうです。
2019年に上野さんが亡くなって、シリーズは止まっていましたが、上野さんが残された絵のデータを元に
なかえ さんが描き足したりして、このほど37作目の新作が出版されたそうです。
無許可で絵本の二次使用をするのはダメですが、この場合は作者本人の手によるものなので大丈夫です。
また、5月に亡くなった霊長類学者の河合雅雄(河合隼雄氏の兄上)さんは、草山万兎(くさやままと)というペンネームで
動物か出てくる児童文学や童話をたくさん書いていることや
“知の巨人” 立花隆も最近亡くなったことに触れ、「どんな人でも亡くなるんやね」と少々寂しいお話に。
生きてる間にした仕事が残るというのは、大変なことなんだ、と。
さて今日の本題は、岡本夏木の著作『幼児期— 子どもは世界をどうつかむか』(岩波新書)から。
この本は、大学の児童教育や教育心理学・発達心理学の教科書としても用いられているもので、
子どもがどうやって言葉を獲得していくかが具体的に書かれています。
幼い子どもに対して、周囲にいる大人たちは最初一方的に言葉を繰り返して教えていきます。
イヌを指差して「ワンワン」、食べるものを示して「マンマ」と言い、
子どもがそれを真似すると、「そうねワンワンね」「そうよマンマよ」と応えあげることで
子どもがそれが「ワンワン=イヌ」「マンマ=食べ物」であることを理解して、言葉を自分のものにするのです。
現代では子どもが自動販売機で買い物をしたり、AIやリモートで教育を受ける機会も多く
もちろん便利になったこともあるでしょうが、人間同士が交わし合う関係が損なわれているのではないか
それは子どもが “人間” になる過程をも奪っているのではないかと、高科先生は危惧しておられます。
須藤真澄の漫画『どこか遠くの話をしよう』(KADOKAWA)にも描かれているように
言葉の通じない大人同士の場合も同じ。
対話していく中で、繰り返して、補い合って、新しい言葉や文化、習性をお互いに理解していくのです。
子どもは2〜3歳、3〜4歳、4〜5歳と、年齢とともに獲得する言葉は増えていき、
だんだん論理的に考え、行為や言語活動ができるようになります。
最初は単語の羅列だったのが、2語や3語の構文になっていきます。
4歳になると、対話者が子どもに共感して、興味を持ち、質問をして話の流れを促すことで
会話の幅がどんどん広がるので、子どもと対話する時はそのように心がけましょう。
名前は最も多く聞く言葉ですが、その言葉を自分のものにできるのはワンワンやマンマより遅いそうです。
自分の名前というものが、時空を超えて実存する一貫した存在だということを自覚するのに時間がかかるのです。
幼い頃は自分が呼びかけられる「〇〇ちゃん」を主語にしていたのが、成長すると「ぼく」「わたし」に移行します。
その間には、とても高度な脳の発達が行われます。
しかも自分が発する言葉を耳で聞くことで、他者を取り入れていくことになります。
それこそが「人間になる」「人間を獲得していく」過程というのでしょう。
「子ども」という存在の概念が確立されたのは、ほんの40年ほど前で、
フィリップ・アリエスの『<子ども>の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』(1980年・みすず書房)
で、その時初めて子どもは小さい大人ではないことが認識されました。
今日は発達心理学の側面から、子どもが言葉をか獲得する過程を学びましたが
最終回になる次回は、物語の側面から言葉の持つ意味を学んでいきましょう。
ということで、髙田大介『図書館の魔女―カラスの伝言』(講談社文庫)の抜粋が配られ予習してくることになりました。
前々回の課題「〇〇の××はなぜ△△」の参考として
石井桃子・文章/初山滋・絵の『おそばのくきはなぜあかい』(岩波書店)を紹介してくださいました。
海外の子どもの物語の翻訳といえば、石井桃子と瀬田貞治によるものが多いのですが
この本の絵を描いている初山滋は、美しくモダンな画風で、とてもカッコいい絵本に仕上がっています。
前回の課題「最初の記憶」の参考として
工藤直子の『こころはナニで出来ている?』(岩波現代文庫)の中に出てくる
幼い頃の思い出について書かれているところなどを見ていきました。
他にも工藤さんの作品の中で有名な『てつがくのライオン』( 理論社)や、『のはらうた』シリーズ(童話屋)、
『ともだちは緑のにおい』『ともだちは海のにおい』(理論社)などもお薦めしてくださいました。
最後に、先生は教員時代、子どもとしゃべる時は必ず顔を見て話すことを心がけていたといいます。
そうしていると、実感として子どもに言葉が届いているかどうかが分かるのだそうです。
人が人と関係性を結んでいくのに大事なことは、向かい合って話すこと。
人間は他者から話しかけられることによって、人間になっていく(とくに母親は無意識にやっている)ものだから
やっぱりタブレットの画面越しに学んでいると、こぼれ落ちていくものもあるんだろうなと思うのだそうです。
今はコロナで人に直接会う機会が減っていますが、早く近距離で顔を見ながら話せるようになりたいですね。
次回7月3日は今期の文章たっぷりコース、最終授業です。
ご興味のある方は見学もお受けしますので、よろしくお願いいたします。
このクラスはもともと少人数でしたが、途中から教室に来るのが難しい状況になり、オンラインで参加する方も多かったです。
先生の豊富な知識と、生徒さんたちの和気藹々とした雰囲気で、「高科ゼミ」という感じのこのクラス。もうすぐ終わると思うと名残惜しいです。
この日の “よもやま話”は、NHKでやっていた なかえよしを さんの番組のことでした。
なかえさんは、奥様の上野紀子さんと絵本『ねずみくんのチョッキ』のシリーズを1974年から36作出版してこられました。
ご夫妻は『ねずみくんのチョッキ』の前に、アメリカで『ぞうのボタン』という絵本を出版して評価されていたため
当時まだナンセンス絵本が受け入れられにくい日本でも、ポプラ社が出版に踏み切ったのだそうです。
2019年に上野さんが亡くなって、シリーズは止まっていましたが、上野さんが残された絵のデータを元に
なかえ さんが描き足したりして、このほど37作目の新作が出版されたそうです。
無許可で絵本の二次使用をするのはダメですが、この場合は作者本人の手によるものなので大丈夫です。
また、5月に亡くなった霊長類学者の河合雅雄(河合隼雄氏の兄上)さんは、草山万兎(くさやままと)というペンネームで
動物か出てくる児童文学や童話をたくさん書いていることや
“知の巨人” 立花隆も最近亡くなったことに触れ、「どんな人でも亡くなるんやね」と少々寂しいお話に。
生きてる間にした仕事が残るというのは、大変なことなんだ、と。
さて今日の本題は、岡本夏木の著作『幼児期— 子どもは世界をどうつかむか』(岩波新書)から。
この本は、大学の児童教育や教育心理学・発達心理学の教科書としても用いられているもので、
子どもがどうやって言葉を獲得していくかが具体的に書かれています。
幼い子どもに対して、周囲にいる大人たちは最初一方的に言葉を繰り返して教えていきます。
イヌを指差して「ワンワン」、食べるものを示して「マンマ」と言い、
子どもがそれを真似すると、「そうねワンワンね」「そうよマンマよ」と応えあげることで
子どもがそれが「ワンワン=イヌ」「マンマ=食べ物」であることを理解して、言葉を自分のものにするのです。
現代では子どもが自動販売機で買い物をしたり、AIやリモートで教育を受ける機会も多く
もちろん便利になったこともあるでしょうが、人間同士が交わし合う関係が損なわれているのではないか
それは子どもが “人間” になる過程をも奪っているのではないかと、高科先生は危惧しておられます。
須藤真澄の漫画『どこか遠くの話をしよう』(KADOKAWA)にも描かれているように
言葉の通じない大人同士の場合も同じ。
対話していく中で、繰り返して、補い合って、新しい言葉や文化、習性をお互いに理解していくのです。
子どもは2〜3歳、3〜4歳、4〜5歳と、年齢とともに獲得する言葉は増えていき、
だんだん論理的に考え、行為や言語活動ができるようになります。
最初は単語の羅列だったのが、2語や3語の構文になっていきます。
4歳になると、対話者が子どもに共感して、興味を持ち、質問をして話の流れを促すことで
会話の幅がどんどん広がるので、子どもと対話する時はそのように心がけましょう。
名前は最も多く聞く言葉ですが、その言葉を自分のものにできるのはワンワンやマンマより遅いそうです。
自分の名前というものが、時空を超えて実存する一貫した存在だということを自覚するのに時間がかかるのです。
幼い頃は自分が呼びかけられる「〇〇ちゃん」を主語にしていたのが、成長すると「ぼく」「わたし」に移行します。
その間には、とても高度な脳の発達が行われます。
しかも自分が発する言葉を耳で聞くことで、他者を取り入れていくことになります。
それこそが「人間になる」「人間を獲得していく」過程というのでしょう。
「子ども」という存在の概念が確立されたのは、ほんの40年ほど前で、
フィリップ・アリエスの『<子ども>の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』(1980年・みすず書房)
で、その時初めて子どもは小さい大人ではないことが認識されました。
今日は発達心理学の側面から、子どもが言葉をか獲得する過程を学びましたが
最終回になる次回は、物語の側面から言葉の持つ意味を学んでいきましょう。
ということで、髙田大介『図書館の魔女―カラスの伝言』(講談社文庫)の抜粋が配られ予習してくることになりました。
前々回の課題「〇〇の××はなぜ△△」の参考として
石井桃子・文章/初山滋・絵の『おそばのくきはなぜあかい』(岩波書店)を紹介してくださいました。
海外の子どもの物語の翻訳といえば、石井桃子と瀬田貞治によるものが多いのですが
この本の絵を描いている初山滋は、美しくモダンな画風で、とてもカッコいい絵本に仕上がっています。
前回の課題「最初の記憶」の参考として
工藤直子の『こころはナニで出来ている?』(岩波現代文庫)の中に出てくる
幼い頃の思い出について書かれているところなどを見ていきました。
他にも工藤さんの作品の中で有名な『てつがくのライオン』( 理論社)や、『のはらうた』シリーズ(童話屋)、
『ともだちは緑のにおい』『ともだちは海のにおい』(理論社)などもお薦めしてくださいました。
最後に、先生は教員時代、子どもとしゃべる時は必ず顔を見て話すことを心がけていたといいます。
そうしていると、実感として子どもに言葉が届いているかどうかが分かるのだそうです。
人が人と関係性を結んでいくのに大事なことは、向かい合って話すこと。
人間は他者から話しかけられることによって、人間になっていく(とくに母親は無意識にやっている)ものだから
やっぱりタブレットの画面越しに学んでいると、こぼれ落ちていくものもあるんだろうなと思うのだそうです。
今はコロナで人に直接会う機会が減っていますが、早く近距離で顔を見ながら話せるようになりたいですね。
次回7月3日は今期の文章たっぷりコース、最終授業です。
ご興味のある方は見学もお受けしますので、よろしくお願いいたします。