23日にやまめの師匠が小田原市役所にて
~史跡と緑の共生を目指して~
「小田原城址の公園の植栽を考える」
というテーマで講演を行いました.
小田原市長のブログ(http://blog.katoken.info/)に,市長さんの感想が書かれています.
80分の予定が90分を優に超え,椿山荘や三渓園での事例を紹介した後,具体的な小田原城址公園内の景色について造園的な見地からの説明がなされました.
公園,緑云々の前に,お城というスケールの大きな空間であること,明治の廃城の危機から100年あまり,歴史という時の積み重ねにより生まれる風格を備えた場所であることの特異性を活かすことが必要であると何度も繰り返し述べられていました.
樹木が果たす役割も,時の重みや景色の風格を醸し出すとともに,マンションやアンテナなど近代的で興ざめな外界を遮蔽したり,訪れる人たちに緑陰や癒しの景色を提供したりと,普通の庭木とは違ったものが出てきます.
スライドで紹介された小田原城址公園の様々な場所は,市民の皆さんにはすぐにピンとくるところばかりだったと思うのですが,たぶん,師匠が指摘したような遠くに見えるものを隠す,よりよく見せる,気づかせる・・・そんな目で見たことは一度もなかったのではないかと思います.
ここから見たらこんな素晴らしいものが見える,この空間が空いたら素敵なものが現れる,このじゃまなものがないとより際だってよく見える,実はこれは素晴らしくいいものだ・・・等々,まさしく宝を持っているけどどうやって磨いて行ったらいいかというお話だったと思います.
歴史の感じられる景色には風情があり,それを確立するために重要な役割を果たしているのが樹木や石垣なんだそうです.
樹木の根が水を吸い,大地の気(き)を幹に登らせ,枝から発散して気(け)が拡散していくんだそうです.
たくさんの樹木があるところでは混沌とした気(け)の世界に樹木の幹が体内にぎゅーーーっと勢いよく気(き)をためて引き締めているわけです.
そうすると,石はその質量で拡散している気(け)を押さえている,といった感覚なのでしょうか?
でも,ただ無造作に転がっている石やぼさぼさに自然な状態になっている樹木は拡散するだけで引き締めることはなかなか出来ないんですね.
うづもれている気(け)の流れを感じ,造園家がコントロールして人が「気持ちいいなぁ・・・」と感じられる空間を創造することができるんじゃないかなと思います.
その場所,景色,建物にとって,じゃまなものは何か,足りないものは何か,造園家は常にそういう目で見るようです.
師匠の見ている世界が少しでも現実のものになっていったらいいのになぁ・・・
風情のある小田原城址を見たいなぁと思います![kirakira2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/kirakira2.png)
~史跡と緑の共生を目指して~
「小田原城址の公園の植栽を考える」
というテーマで講演を行いました.
小田原市長のブログ(http://blog.katoken.info/)に,市長さんの感想が書かれています.
80分の予定が90分を優に超え,椿山荘や三渓園での事例を紹介した後,具体的な小田原城址公園内の景色について造園的な見地からの説明がなされました.
公園,緑云々の前に,お城というスケールの大きな空間であること,明治の廃城の危機から100年あまり,歴史という時の積み重ねにより生まれる風格を備えた場所であることの特異性を活かすことが必要であると何度も繰り返し述べられていました.
樹木が果たす役割も,時の重みや景色の風格を醸し出すとともに,マンションやアンテナなど近代的で興ざめな外界を遮蔽したり,訪れる人たちに緑陰や癒しの景色を提供したりと,普通の庭木とは違ったものが出てきます.
スライドで紹介された小田原城址公園の様々な場所は,市民の皆さんにはすぐにピンとくるところばかりだったと思うのですが,たぶん,師匠が指摘したような遠くに見えるものを隠す,よりよく見せる,気づかせる・・・そんな目で見たことは一度もなかったのではないかと思います.
ここから見たらこんな素晴らしいものが見える,この空間が空いたら素敵なものが現れる,このじゃまなものがないとより際だってよく見える,実はこれは素晴らしくいいものだ・・・等々,まさしく宝を持っているけどどうやって磨いて行ったらいいかというお話だったと思います.
歴史の感じられる景色には風情があり,それを確立するために重要な役割を果たしているのが樹木や石垣なんだそうです.
樹木の根が水を吸い,大地の気(き)を幹に登らせ,枝から発散して気(け)が拡散していくんだそうです.
たくさんの樹木があるところでは混沌とした気(け)の世界に樹木の幹が体内にぎゅーーーっと勢いよく気(き)をためて引き締めているわけです.
そうすると,石はその質量で拡散している気(け)を押さえている,といった感覚なのでしょうか?
でも,ただ無造作に転がっている石やぼさぼさに自然な状態になっている樹木は拡散するだけで引き締めることはなかなか出来ないんですね.
うづもれている気(け)の流れを感じ,造園家がコントロールして人が「気持ちいいなぁ・・・」と感じられる空間を創造することができるんじゃないかなと思います.
その場所,景色,建物にとって,じゃまなものは何か,足りないものは何か,造園家は常にそういう目で見るようです.
師匠の見ている世界が少しでも現実のものになっていったらいいのになぁ・・・
風情のある小田原城址を見たいなぁと思います
![kirakira2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/kirakira2.png)