やまめの庭つくり

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

金剛輪寺の庭園2

2011-07-03 | 庭園見学
金剛輪寺の山門入り口入ってすぐのところに桃山時代末期の庭園があります.

山畔という地形をうまく利用して,石を組み,池を作り,橋をかけ,シンプルでこじんまりまとまっている印象です.このスケール感が桃山時代の技術や世界観が影響しているのか.



苔とシャクナゲなどの樹木に目がいってしまいがちですが,

山畔の地形を利用し豪壮,自由奔放に組まれた滝石組みがある,

と,資料には書いてあります.

が・・・・

よく見えませんでした~yellow7ase2



自然石を重ね合わせて石橋とするのはこの地方の特徴だそうで,胡宮神社の庭園でも見られましたね.

ここの石橋は3つの自然石の組み合わせだそうです.

せっかく護岸石組みなども素晴らしいものなので,もっとよく見えるように植栽の剪定,管理を行ってもらえたら,庭そのもののアウトラインがしっかり見えて地形と石組みの関係もよくわかるのになぁ・・・残念!



この宝篋印塔は鎌倉時代末期のものらしいです.

なかなか存在感もあり,美しい石造物なのでは・・・と感じました.

資料によると基礎(基壇?)部分が開花蓮華のような異様な陽刻であるのが珍しい,と書いてあったのですが,そもそも足下が見えな~いyellow12

異様な陽刻って何のこと???

見学会で質問すれば良かったなぁ・・・・



金剛輪寺の庭園1

2011-07-03 | 庭園見学
湖東庭園見学の続きです.

金剛輪寺というお寺に行きました.

寺伝によれば,天平9年,737年に聖武天皇の勅願により建立,僧行基が開基したと言われています.古来から当地方に勢力を張っていた秦氏がその創建に関わったと考えられていて,平安時代には慈覚大師が中興して,その時より天台宗となりました.

その後,応仁の乱により衰微,信長の焼き討ちも本堂,諸仏,塔,山門が免れてまさしく歴史を重ねながら今に至っているのです.

その後江戸時代に天海僧正が補修,再建復興したそうです.

歴史の教科書に出てくるような名前が沿革でほいほいと出てきてしまう,すご~いところです.

ところで今回は山門前の枯山水.



枯山水だとは,ちょっと気づかないと思うんですが・・・・



ここは資料によると約10坪の面積で,桃山時代の作庭と伝えられていますが,江戸時代末期頃と推測されるのだそうです.

みんなで「‘苔山水’だね」と言っていました.

どうも,琵琶湖が近いのか,湿気が多いのか,苔や緑がとても多く,湿気ている感じの風景が多いです.

つづく・・・・