やまめの庭つくり

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金剛輪寺の庭園4

2011-07-09 | 庭園見学
資料によると・・・

金剛輪寺の本庭,北庭は山畔が急勾配のため,二重護岸の石組みとなっていて滝石組みに江戸時代初期の豪壮な作風が残っているが,下部池泉は江戸時代後期に作庭されたものです.



ここの庭園で最初に舟形石が目に入りその石の舳先のような部分が指し示しているものは・・・

よ~く見ると画像中央よりやや下に石で出来た橋が横一文字に見えます.



細く静かに落ちる滝と,高い位置に架けられた石橋.

これが‘玉澗流’の滝石組というものだと教わりました.

玉澗という中国の人が描いた水墨画の世界を表現したものだそうです.

あんな高いところの石橋も人が歩けるようになっているのだろうか?

そこのところを知りたかったな・・・



notepencil玉澗」は中国南宋時代の画僧、芬玉澗のこと。僧は多くの絵を後世に残しているが、元禄七(1694)年に京都で刊行された「古今茶道全書」の第五巻(後に独立して出版された「諸國茶庭名蹟圖會」)の巻末に三枚の山水図が掲載されている。(刊行の時期は脇田家三代当主直長が玉泉園を築庭していた時代と符合する。) その三枚の山水図のうちの一枚(玉澗○山水三段瀧圖)が、玉泉園の東滝を中心とした崖地部分の作庭と酷似していることが最近の調査で分かっています。玉澗流庭園の特色としては ①築山を二つ設けてある ②築山の間に滝を組んである ③滝の上部に石橋(通天橋)を組んである ④石橋の上部は洞窟式になっている ---といった点にあります。
by:http://www.geocities.jp/gyokusen_en/top.html


ちなみにこの玉澗流で作られたと確認されている庭園は6つくらいしかないそうです.

他は名古屋城二の丸,和歌山の粉河寺など,と言われていたと思いますが・・・

桃山時代は,庭に対して祈りの気持ちや仏教の精神世界を表現していましたが,江戸時代に入って石組みの技術は更に発達し,庭の表現に対してもこのように水墨画の景色を再現してみようとか,遊びや芸術としての表現が現れたと言うことでしょうか.


そのため,庭に対する印象も豪快で素朴,から豪快で華麗,になっているような印象を受けました.

もちろん石組みが必ずしも豪快なわけでもないし,力強いわけでもないので,庭園が作られた時代の影響が皆そんな感じかどうかわかりません.

これから庭園を見学するとき,このような視点も持って,よく観察してみようと思いました.