心はともに
みなさま こんにちは
運動会シーズン、公園で遊んでいると
競技場で、幼稚園生が、爆音と笛の中、踊りなどの練習をしている場面に
よく遭遇しました。
大きな音楽と笛の音 一つで、命令に従っていく小さな小さな姿。
何かが 出来るようになる
それを見る親は、それを成長と感じ、感動するでしょう
でも 何かがひっかかったのです。
それは、それが今の彼らに必要な ”できるようになること”なんだろうか?
だから、運動会は、そういうものでもなく
順位もつけないで もっと湧き上がるものを大事にして
みんなで運動したっていいじゃない?
勝ち負け、順位は何のために必要なのだろうか?
勝ち負けなし、それじゃあ頑張れない?
他人との比較競争 から生まれるものより、もっと深く求めるものがあるはず。
走りたい子は走るし、踊りたい子は踊るのではないか?
私は、お弁当の後の、みんなで踊る ジンギスカンが
一番楽しかったな~。わきばら痛かったけど。
というわけで
いろんな育児法があると思うのですが、
最近、シュタイナー幼稚園の先生の講演録を読んでいて
とても興味深かったのが、(六巻中、まだ二巻目ですが)
子どもがどんなことで 心が安定していくのかというところです。
それは、一つに毎日のリズム。
大人の娯楽のような刺激は必要なく、日々繰り返される同じリズムによって
安定していくこと
それが、実は認知症の老人でも同じなのだとか。
そして、自分で選ばせない、親が選ぶ
というのが、面白かったのです。
「OOちゃん、これね」って今日の洋服を出す。
それは、気温やTPOで親がベストなものを選ぶ というのが前提ですが
選んでもらう心地よさ というのがあるのだそうです。
どっち?と聞かれれば、こっちと選ぶことができる年齢です
それでも、それは自分で選んだのではなく、選ばされた
ということでもあるようで、それをしていると、ワガママになっていくのだそうだ。
そして、「これね」とか「帰るよ」にくどくどとした理由や説明はいらない
イライラもいらない
穏やかに、笑顔で「これね」「帰るよ」でいいのだそうな。
「これでいい?」「かえる?」「帰ろうよ」じゃないのがポイント。
無意識で言葉を使わないことが書かれていました。
それで、昨日公園から帰りたがらない娘に早速
「帰るよ」って にっこり言って、自転車に向かったんです。
本人は、ほかの方向に向かっていました。
そして、娘がふっと私を見るために振り返る前に、
私はくるっと自転車に向かっているように、背中をみせたんです。
そして、振り返ったら、娘はタカタカっと走ってくるではないですか!
そして、なんともなかったように、自転車にのりました。
それで、今日も公園から帰りたがらない娘に
「帰るよ」っていって、ひょいっと砂場から 抱き上げて、地面を
一緒に歩きだしたら、とことこ一緒に自転車に向かうんですよ。
ひょえ~!
これまでは、「お昼ご飯たべよう」とか、「絵本読もう」とか
いろいろ 餌で釣っていたのに!
なんとまぁ~~~。
確かに、今までは「帰ろうか」とか「帰ろうよ」とか言いながら
まだ遊びたいかな? と、副題みたいなものがくっついてきていて
声には出ないけど
それが電波で届いていたんでしょうね。
だから、私の心がどうかってところですよ。
きっとなんでもそうで、一見親切や思いやりとも見えるような
人の意向を気にしていることが、実は
自分はもとより、相手にも不安感を与えることが
あるかもしれません
まずは、自分は こうだ という思いをハッキリ感じておく
自分の希望に耳を傾けておくことが大事であるように思いました。
そうすれば、お互いに 不安や不満として残る部分が消えていくのかもしれません。
それを、無意識で自分は こんな言葉をかけられたい と思っていても
他人はその言葉をくれません、
それを、いってくれくれ と常に 奪うエネルギーでいると
奪い合いが生じてしまう
自分はこうしたい、こうなりたいというヴィジョンを描くこと
を、やっていきたいと思います。
しかし、公園社会、面白いです。
そんなわけで、晴れている日は公園にいきますので、
食養で
夏は、毎日バナナジュースを作って飲ませてから行きました。
熱中症予防の補気、補陰です。
そして、気温が下がって、水分をとりたがらないのにこの乾燥の季節、
かぼちゃか人参のポタージュを飲んでからいきます。
今は乾燥からの感染症を予防するための 補気、滋陰です。
ポタージュは2.3日に一回まとめてつくりますが、
玉ねぎを炒めて、かぼちゃか人参を炒めて、水で15分ほど煮て
ミキサーでまわし、
ここからは火を使わずに、塩と醤油で調味、豆乳を入れます。
ここにフェカリンを入れると、飲みます。(うちはお湯に溶いてだと飲まない)
みなさま こんにちは
運動会シーズン、公園で遊んでいると
競技場で、幼稚園生が、爆音と笛の中、踊りなどの練習をしている場面に
よく遭遇しました。
大きな音楽と笛の音 一つで、命令に従っていく小さな小さな姿。
何かが 出来るようになる
それを見る親は、それを成長と感じ、感動するでしょう
でも 何かがひっかかったのです。
それは、それが今の彼らに必要な ”できるようになること”なんだろうか?
だから、運動会は、そういうものでもなく
順位もつけないで もっと湧き上がるものを大事にして
みんなで運動したっていいじゃない?
勝ち負け、順位は何のために必要なのだろうか?
勝ち負けなし、それじゃあ頑張れない?
他人との比較競争 から生まれるものより、もっと深く求めるものがあるはず。
走りたい子は走るし、踊りたい子は踊るのではないか?
私は、お弁当の後の、みんなで踊る ジンギスカンが
一番楽しかったな~。わきばら痛かったけど。
というわけで
いろんな育児法があると思うのですが、
最近、シュタイナー幼稚園の先生の講演録を読んでいて
とても興味深かったのが、(六巻中、まだ二巻目ですが)
子どもがどんなことで 心が安定していくのかというところです。
それは、一つに毎日のリズム。
大人の娯楽のような刺激は必要なく、日々繰り返される同じリズムによって
安定していくこと
それが、実は認知症の老人でも同じなのだとか。
そして、自分で選ばせない、親が選ぶ
というのが、面白かったのです。
「OOちゃん、これね」って今日の洋服を出す。
それは、気温やTPOで親がベストなものを選ぶ というのが前提ですが
選んでもらう心地よさ というのがあるのだそうです。
どっち?と聞かれれば、こっちと選ぶことができる年齢です
それでも、それは自分で選んだのではなく、選ばされた
ということでもあるようで、それをしていると、ワガママになっていくのだそうだ。
そして、「これね」とか「帰るよ」にくどくどとした理由や説明はいらない
イライラもいらない
穏やかに、笑顔で「これね」「帰るよ」でいいのだそうな。
「これでいい?」「かえる?」「帰ろうよ」じゃないのがポイント。
無意識で言葉を使わないことが書かれていました。
それで、昨日公園から帰りたがらない娘に早速
「帰るよ」って にっこり言って、自転車に向かったんです。
本人は、ほかの方向に向かっていました。
そして、娘がふっと私を見るために振り返る前に、
私はくるっと自転車に向かっているように、背中をみせたんです。
そして、振り返ったら、娘はタカタカっと走ってくるではないですか!
そして、なんともなかったように、自転車にのりました。
それで、今日も公園から帰りたがらない娘に
「帰るよ」っていって、ひょいっと砂場から 抱き上げて、地面を
一緒に歩きだしたら、とことこ一緒に自転車に向かうんですよ。
ひょえ~!
これまでは、「お昼ご飯たべよう」とか、「絵本読もう」とか
いろいろ 餌で釣っていたのに!
なんとまぁ~~~。
確かに、今までは「帰ろうか」とか「帰ろうよ」とか言いながら
まだ遊びたいかな? と、副題みたいなものがくっついてきていて
声には出ないけど
それが電波で届いていたんでしょうね。
だから、私の心がどうかってところですよ。
きっとなんでもそうで、一見親切や思いやりとも見えるような
人の意向を気にしていることが、実は
自分はもとより、相手にも不安感を与えることが
あるかもしれません
まずは、自分は こうだ という思いをハッキリ感じておく
自分の希望に耳を傾けておくことが大事であるように思いました。
そうすれば、お互いに 不安や不満として残る部分が消えていくのかもしれません。
それを、無意識で自分は こんな言葉をかけられたい と思っていても
他人はその言葉をくれません、
それを、いってくれくれ と常に 奪うエネルギーでいると
奪い合いが生じてしまう
自分はこうしたい、こうなりたいというヴィジョンを描くこと
を、やっていきたいと思います。
しかし、公園社会、面白いです。
そんなわけで、晴れている日は公園にいきますので、
食養で
夏は、毎日バナナジュースを作って飲ませてから行きました。
熱中症予防の補気、補陰です。
そして、気温が下がって、水分をとりたがらないのにこの乾燥の季節、
かぼちゃか人参のポタージュを飲んでからいきます。
今は乾燥からの感染症を予防するための 補気、滋陰です。
ポタージュは2.3日に一回まとめてつくりますが、
玉ねぎを炒めて、かぼちゃか人参を炒めて、水で15分ほど煮て
ミキサーでまわし、
ここからは火を使わずに、塩と醤油で調味、豆乳を入れます。
ここにフェカリンを入れると、飲みます。(うちはお湯に溶いてだと飲まない)