去年の今頃は、日本、いや世界中がニュースの画面に釘付けだったろう
自然の前では、いかに人はもろい存在なのか…思い知らされた
去年の今頃は、津波への恐怖と寒さで多くの人が必死に耐えていた。
「生と死」の狭間があちらこちらにあった…。
今の日本の長所・短所が浮き彫りになった。
阪神・淡路大震災で、お灸を据えられたはずなのに…
21世紀になって直ぐの9月11日。
その10年目の3月11日。
私にとっては、実家の父の誕生日。特に去年は父の80回目の誕生日だった。
父には、被災地が復興するまで元気でいてもらいたい。
忘れてはならない日、になった3月11日。
このブログへコメントを以前から寄せてくれていた石巻の秀さんも津波に遭われた。
先日「何もかも流された…」とコメントを下さった。(嬉しかったよ~!)
どれだけ多くの「災害弱者」の方達がおられるであろうか?
我慢をしいられ、体調を崩されたり、避難所での厳しい環境で亡くなられたり…は嫌だ。
先日来の特集番組で、せっかく津波から助かったのに孤独死や自殺で
命を落とされた方があるということだった。(生きてる事に意味があるんや)
そして「安全神話」を作り上げたが故に、現実を認めようとしなかった原発事故。
国民も、国と電力会社の暴走を認めてしまった責任があるんだと自覚しなきゃ。
(昔に帰ろう)
3・11は多くの事を気付かせてくれた。
旧約聖書のノアの方舟の話は、実際に似たような事はあったんだろう。
東北地方にも平安時代に大津波が来たらしいし…。(歴史から学ぼう)
地震国日本。3・11は大きな大きな「宿題」を日本に突き付けた。
日本人ひとりひとりが、自分の事として忘れてはならない日だと思う。
復旧は、遅々としている感がある。特に福島第一原発の問題はスパンが長い。
(メッチャ長過ぎやけど)
経済のあり方、社会のあり方、行政のあり方、政治のあり方、多岐に渡っての「宿題」を
どう片づけて行くか…国民も他人事と思わずに意識し、考えて行かなければ…。
(出でよ、リーダー…国会議員は何しとる)
私自身、阪神・淡路の震災の時に、自分が「災害弱者」だと実感したのに
その意識が薄れていたのも事実
石巻の秀さんの事があって、帰宅難民になった次男の事もあり
意識は強まった(ホントかい?)
まだまだ被災地の復旧・復興には時間がかかるだろうが、遠くからであるが
見守り、やれる事はやって行く気持ちでいる。(忘れるなよ!)
被災地の方々は、心の整理も付かないであろう事が気掛かりだ。
ある日突然、それまでの日常が無くなるという点では片麻痺も同じだけど
「重さ」が違う。“ちょっこしだけ、わかります”のレベルだね。(ウン)
もっとみんなで考えて行こうね。忘れないでいようね。(ホントだよ)
3月11日にあたり、真面目に書いてみました。(特に…です。いつも真面目よ)
石巻の秀さん、お元気でいて下さいね。時間と気持ちに余裕が出来たら
以前のようにコメント書いたり、メールしてくださいませ
被災地の皆様の健康と安寧をお祈りしています。
もっといろいろ書きたいけど、キリが無いので…。
また真冬の風が吹いてる明日の朝は氷点下の予想です
これが最後の寒波だと思いたい…
梅が咲きましたラッパ水仙ももうすぐです
庭の手入れもせんといかん今年は野菜は何植えよう?
こんなふうに考えられるのって、すんごい幸せなんだよね
有り難い。ありがたい。ありがとう
ここまでのご精読、感謝申し上げます