「片麻痺お気楽日記」左半身麻痺 主婦の日記

産後の脳出血での左半身麻痺主婦。日々の生活や、半身麻痺さんへのお役立ち情報等。

一日も早い終息を願います

2016年04月19日 15時34分59秒 | 生きる

とても気持ちの良いお天気です
しかしながら、14日以降、頻繁に揺れ続けています

最初の揺れが大きかったので、16日の夜中に揺れの本震があるとは
全く思わなかった・・・ 

余震の多さには閉口します
揺れる時は、何度も続くので、揺り籠に乗せられた感じです

震源が、北東に動いてるのが不気味です

南阿蘇村の土砂崩れの惨状には、胸が痛みます 
豪雨被害から復興したのに、豊肥線と国道57号が両方ダメに

熊本の被害は甚大ですが、ここ大分も山間部で被害が出ています
人気の観光地の湯布院が揺れが大きいですし、夫の故郷の竹田も
大きな揺れが来てるので、心配です 
一日も早い地震の終息を祈ります
犠牲になられた方達のご冥福をお祈りします。
被災地の皆様にお見舞い申し上げ、ご健康を願っております。 

前回の記事にコメントを下さった、みもざさん、きのこさん、マエケンさん
りびさん、原田さん、鈴鹿さん、ありがとうございました 

親戚や、学生時代の友人からの電話、ネッ友さんのメールにも感謝です

私が6歳から12歳を過ごしたのが熊本です。顏晴れ、熊本

ここで、愚痴~

なんで、川内原発を止めないのよ~

いつ揺れるかわからないし、グラッと来た時の緊張感
身体がガチガチです




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祈りました

2015年03月14日 18時28分14秒 | 生きる

今日は3月14日です。3月も早2週間経過です
(昨日もらったホワイトデーのチョコシフォンケーキ食べました)
今日は暖かかったです
でもこのまま・・・とは、行かないらしく、気が抜けません
3月11日。祈りましたただ、ただ祈りました

11日に更新したかったけど、時間取れず(言い訳だなあ
父の誕生日と鎮魂の日が、4年前から重なる事になって・・・

午前中に両親と電話で話し、「元気でいてね」と祈り、
午後は追悼式典に合わせて東北に向かって祈りました。

石巻の秀さん、お元気でしょうか?

九州新幹線の開業の日の前日が、震災だったので、
お祝いやCMを自粛したんですよね。なので、北陸新幹線のニュース
複雑な思いで観てます 

中途半端ですが、ここまで・・・

寒の戻りはキツイご自愛下さいませ

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学びの気持ち

2012年10月14日 10時17分35秒 | 生きる

こんにちは
すっかり秋めいて来ましたが、いかがお過ごしでしょうか

昨日、1通のメールが来ました
以前、ここでも書いた癌を発症された片麻痺の方からです。
『肺に癌が見つかり、自治医大を受診する』とありました。
私には、何も出来ません
「紹介状を書いてくれるのは、望みがあるからでしょう」と
お返事を書くのが精一杯でした

昨日テレビで“富山から静岡までを高い山を縦走する大会”を観ました。
ヨーロッパアルプスでもあるのは知ってましたが、日本でもあったのね
人間、追い込まれると凄いパワーが出るんだと感心

京都大学の山中教授のノーベル賞受賞に湧いていますけれど、
ご苦労があったのに、周りへの感謝と気配りを忘れないお姿に
今の日本人に対する“啓示”のような物を感じます

「何も起こらない事の幸せ」を感謝です
何も無いような所からでも、大きな発見がある…。

今日は鉄道記念日。そして、父方の祖父の命日です。
いろいろと思い出しますね…。思い出す回数が多いと記憶は
より定着するそうです。時々思い返すのは、脳にも良いと…。

最近、始めた健康法?テレビを観て実践中なのが干しエノキダケ
観た人も多いでしょう?ビタミンDが多く摂れたり内臓脂肪が減る…。
何でもやってみようと行動する事にも意義がある

身の回りに起こる事、何かしら学べるはず
何でも興味を持って行くと、ノーベル賞とはいかないけれど、
」発見はあると思うのでした

しかし冷えて来ましたね足首ウォーマー着けてます
片麻痺さんは早めの寒さ対策必須です

冷たい空気が、心身をシャキとさせてもくれますね

秋を皆様それぞれにお楽しみくださいませ

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一歩前へ

2012年09月02日 23時40分13秒 | 生きる

気付けば9月に入ってました
8月が駆けて行ってしまった…

先日も触れた、私の誕生日のこと。
8月20日が、この世に生を受けた第一の誕生日なら
脳の血管がプッツンした日が『第二の誕生日』なんだって。
その第二の誕生日は、1989年の8月31日。
カルテ上では、ICUに入った9月1日。

最近は、発症した日も、普通に過ごしてるけど、以前は違った。
「あの日が来る…」って身構えてたっけ

第二の誕生日から“それまでとは違う生き方なんだ”と思えるように
アドバイスして下さった主治医に感謝です

片麻痺になった方は、ほとんどの方が、落ち込み、塞ぎ込む…。
「なんで、こういう目に遭わなきゃならないの?」っていう、
持って行き場の無い思いに、怒り、哀しみ、涙する…。
先の見えない不安と、焦りと「もうダメだ」っていう空虚感…。
泣いて、泣いて、消えてしまいたい衝動にかられる…

私もそうでしたでも、そんな自分が嫌だった
「なんとかしたいなんとかしなきゃ」と気持ちばかりが空回り…。

それをストップさせる事が出来たのは、心配をかけた夫に、
これ以上、心配かけたくない、これです重荷になりたくなかった
その為には、『自分でやれる事は、自分でやろう』でした。

夫や家族、お世話になった人達に、恩返しするとしたら、
【私が元気でいることしか、無いな】と思いました。

怖かったけど、一人で病院にタクシーで行ったり、一人でやれる事を
増やして行ったっけ…。

今、悩んでる人も多いと思います。
自分の状況を受け入れられない人も多いでしょう。

悩むって事は、「自分のやりたい事があるって事」ではないですか?
じゃあ、ここで一歩前へ踏み出しましょう
直ぐには、やりたい事へ到達しなくて当たり前です。
その為の小さい準備を重ねて行くんです。一歩、一歩。
その繰り返しだと思います。

助けを借りるのを迷わないで…助けてもらっていいんです
「ありがとう」を言うんです何度でも言うの
完璧主義はポイです。

糀屋の女将さんも仰ってました(塩麹の火付け役の方です)
苦しい時こそ、一歩前に踏み出そうって。テレビで観ました。

あ~だ、こ~だ考えるより、動きましょう
そして、自分にも「良かった」事があるはずです。
小さな事でいいから、書き出してみましょう。けっこうあるんですよ

発症した事に、負い目は持たないしゃあないでしょ、過ぎたことは。
今の自分に自信が持てるように成るために、さあ、一歩前へ

中途半端ですが、ここまで(過去記事にも書いてますので
続きは、どうする?頑張って更新します今夜はおやすみなさい

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誕生日に思う

2012年08月19日 11時47分26秒 | 生きる

明日は誕生日です。母が、この世に私を送り出してくれた日。

でも、今の私には、もう一つの誕生日がある…。
発症した日が、第二の誕生日。

8月も、早下旬になる。残暑が厳しい
ダル重の身体に、気も滅入る…
そういう時は「寝てくる」と言って、ベッドで寝る
無理せず、リセット…
夫に感謝    でも、年齢と共に、踏ん張りが利かない
年のせいにしたくないが、現実だわ

夫が元気でいてくれて有り難い
今夜は、娘も一緒に、近所の回るお寿司屋さんへ行きます

皆様も、体調にはお気をつけて下さいませ
夏バテ予防に、甘酒、牛乳…水分もしっかりと~

 

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3月11日

2012年03月11日 17時47分40秒 | 生きる

去年の今頃は、日本、いや世界中がニュースの画面に釘付けだったろう
自然の前では、いかに人はもろい存在なのか…思い知らされた

去年の今頃は、津波への恐怖と寒さで多くの人が必死に耐えていた。
「生と死」の狭間があちらこちらにあった…。

今の日本の長所・短所が浮き彫りになった。
阪神・淡路大震災で、お灸を据えられたはずなのに…

21世紀になって直ぐの9月11日。
その10年目の3月11日。

私にとっては、実家の父の誕生日。特に去年は父の80回目の誕生日だった。
父には、被災地が復興するまで元気でいてもらいたい。

忘れてはならない日、になった3月11日。
このブログへコメントを以前から寄せてくれていた石巻の秀さんも津波に遭われた。
先日「何もかも流された…」とコメントを下さった。(嬉しかったよ~!)

どれだけ多くの「災害弱者」の方達がおられるであろうか?
我慢をしいられ、体調を崩されたり、避難所での厳しい環境で亡くなられたり…は嫌だ。

先日来の特集番組で、せっかく津波から助かったのに孤独死や自殺で
命を落とされた方があるということだった。(生きてる事に意味があるんや)

そして「安全神話」を作り上げたが故に、現実を認めようとしなかった原発事故。
国民も、国と電力会社の暴走を認めてしまった責任があるんだと自覚しなきゃ。
(昔に帰ろう)

3・11は多くの事を気付かせてくれた。
旧約聖書のノアの方舟の話は、実際に似たような事はあったんだろう。
東北地方にも平安時代に大津波が来たらしいし…。(歴史から学ぼう)

地震国日本。3・11は大きな大きな「宿題」を日本に突き付けた。
日本人ひとりひとりが、自分の事として忘れてはならない日だと思う。
復旧は、遅々としている感がある。特に福島第一原発の問題はスパンが長い。
(メッチャ長過ぎやけど)

経済のあり方、社会のあり方、行政のあり方、政治のあり方、多岐に渡っての「宿題」を
どう片づけて行くか…国民も他人事と思わずに意識し、考えて行かなければ…。
(出でよ、リーダー…国会議員は何しとる

私自身、阪神・淡路の震災の時に、自分が「災害弱者」だと実感したのに
その意識が薄れていたのも事実

石巻の秀さんの事があって、帰宅難民になった次男の事もあり
意識は強まった(ホントかい?)

まだまだ被災地の復旧・復興には時間がかかるだろうが、遠くからであるが
見守り、やれる事はやって行く気持ちでいる。(忘れるなよ!)

被災地の方々は、心の整理も付かないであろう事が気掛かりだ。
ある日突然、それまでの日常が無くなるという点では片麻痺も同じだけど
「重さ」が違う。“ちょっこしだけ、わかります”のレベルだね。(ウン)

もっとみんなで考えて行こうね。忘れないでいようね。(ホントだよ)

3月11日にあたり、真面目に書いてみました。(特に…です。いつも真面目よ)

石巻の秀さん、お元気でいて下さいね。時間と気持ちに余裕が出来たら
     以前のようにコメント書いたり、メールしてくださいませ

被災地の皆様の健康と安寧をお祈りしています。

もっといろいろ書きたいけど、キリが無いので…。

また真冬の風が吹いてる明日の朝は氷点下の予想です
これが最後の寒波だと思いたい…

梅が咲きましたラッパ水仙ももうすぐです
庭の手入れもせんといかん今年は野菜は何植えよう?
こんなふうに考えられるのって、すんごい幸せなんだよね
有り難い。ありがたい。ありがとう

ここまでのご精読、感謝申し上げます

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なんて嬉しいことでしょう!!

2012年02月05日 23時32分56秒 | 生きる

皆さん、石巻で被災された秀さんが、コメントを下さいました

ご無事であることしか判らなくて、気にはなっていたものの、
遠くから祈ることしか出来なくて…

もうすぐ「あの日」から11か月。
秀さんはじめ、被災地の皆さんのご苦労は続きそうです

「生きてさえいてくれたら」と、片麻痺さんのご家族は皆さん思われたはず
「生きてるからこそ」辛いです
「「生きてるからこそ」嬉しいんです

さあ、皆さん、ご唱和下さ~い
「宮城の秀さん、生きていてくれてありがとう
「いつも石巻を応援してますよ~

サッカーは負けたけど、嬉しい夜になりました

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ひょっこりひょうたん島

2012年01月06日 11時56分58秒 | 生きる

寒い今朝は―0.9℃でした

新年が明けて6日です。早い
高校サッカーの大会で、県代表の大分高校がベスト4に進出
国立でプレー出来るのを喜んでる
昨年のパ・リーグのMVPの内川といい、サッカー代表の清武といい
地元出身の人の活躍は凄く嬉しい
AKB48の指原莉乃ちゃんも、ここの出身(ユースケ・サンタマリアの中学校の後輩ですって)

ほんでもって、今日のお題「ひょっこりひょうたん島」ですが、
私の世代には懐かしいですね毎日夕方TVの前に座ってましたもん

昨日の朝刊から始まった連載記事が「ひょっこりひょうたん島」です。
昨年の震災の津波で大きな被害を受けた大槌町にモデルになった島があります。
作者の井上ひさしさんが、ここの近くの吉里吉里を舞台に書いた『吉里吉里人』
井上さんは、震災・津波を予言なさっていたかのような感も受けます。

苦しいこともあるだろさ
 哀しいこともあるだろさ
 だけど僕らはくじけない
 泣くのは嫌だ 笑っちゃおう 進め~

本当にこの歌詞のとおりですよね。今年はこの歌を口ずさんで行くんだ~

寒さが厳しいです。雪も多いようです。どうぞご自愛下さいませ

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レスパイト

2011年12月05日 11時03分29秒 | 生きる

12月も5日になっちゃいました
やっとこさ年賀状のデザインも決まったので、作業を加速させねば

「レスパイト・ケア」という言葉を知りました
介護の側の方達の為に使われているようです。

介護されている方達は、休みナシですからね
休み休みで行けるよう、介護の側の方達もお気をつけて下さい

人生も休み休みで、いいのじゃないかと…
休み休みの私が言うのもなんですが…

国会中継聞いてましたが、白けますね
もっと中身のある審議は出来ないんでしょうか?

先日見た「速読」の特集。興味あります
でも、今、眼が疲れてるからな…

冬将軍の襲来ですまだまだこれからですもん。気合入れて乗り切るぞ

家族にレスパイトしてもらえるよう、片麻痺であることに甘えることなく、
しっかり自分の事や家事を頑張るぞって、マイペースよ~

皆様も年の瀬、慌ただしいですが、ご自愛下さいませ

ご精読ありがとうございました
ホントは、いろいろ書きたい事もあるんですが…。ま、ぼちぼち…

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和顔施…笑顔で行きまっしょい!

2011年10月26日 11時19分08秒 | 生きる

天気予報がピッタンコで、冷えましたね
羽毛布団のお蔭で、温かく寝れてますが、起きると寒い
外は快晴なので、外の方が暖かいんだろうなぁ

昨日は、朝9時過ぎには眼科にいました
夏の終わりくらいから、目の疲れ・違和感が凄くて、肩も首もガッチガッチ
パソコンも控え気味にして、騙し騙しで過ごしてました

眼底検査までしましたが、網膜等には異常は見られず、ドクターはさらりと
「眼鏡(老眼鏡)をかけて下さい」とおっしゃいましたへへ~い

昨日のたけしさんの番組で言っていた「朝起きる時間を決める」で思ったのが
夫の定年前には、毎朝5時に起きていた頃のこと。体調は悪くなかったんだよね

「毎朝、起きたら太陽の光を見て体内時計をリセットする」っていうのは以前知った。
昨日は“時計遺伝子”の話だったな。食事のタイミングの話も興味深かったね
今実践している早めの夕食と、夜遅い時間に食べない、ってのは正解みたい

今朝の寂聴さんのお話しも良かったですそれが「和顔施」です。
“笑顔は、自分も周りも幸せにしてくれる”というお話しに、「うんうん」

笑顔になれないような時があるのは仕方ないけど、そこを笑顔で過ごす
顔晴ろうっと

気温の変動が大きいので、充分にご注意下さいませ

 

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昨日の続き…

2011年10月15日 12時06分41秒 | 生きる

昨日も書いた日野原重明先生のドキュメンタリー番組を観ての
感想というか、私が共感したところ。
先日、ここで書いた「86400」の話にも通じるんだけど、
日野原先生が小学生に対して行っている“命の授業”で仰っていた
《命は時間》ということ《時間を自分だけでなく他人や周りの為にも使おう》に
「うん、うん」とやってました。

今は病床にある先生の奥様が《受けた恩は、その人に返そうとせず
needのある人への行動を…》にも、「うん、うん」でした。

今日の朝刊の土曜版のアンケートに「100歳まで生きたいですか?」でした。
モニターの人の回答はYesが3割、Noが7割でした。

以前は“人生50年”と言われていたので、60歳の還暦も70歳の古希も
長生きのお祝いだったけど、今じゃ、60歳を老人扱いするには、若過ぎる。
老後と言われる時間が長くなったことで、社会に昔は少なかった問題が増えた。

国の財政状態が、改善される事が望めない今、老後を如何に生きて行くか…が
問われているね病気をしたり、認知症になってしまうと、重い老後になってしまう。

日野原先生は「老人力」についても説いておられますが、高齢化が進む中、
他人事では済まない「老後」です。命=時間を有意義にしたいですね

このテーマについては、また書く機会もあると思います。
“老い”や“死”からは逃げられません。でも、そうだからこそ、明るく考えてみたい。
そう思うのでありました。皆さんはいかがでしょう?

大雨になった所もあるようですが、これからは一雨毎に気温が下がります。
体調管理にはお気をつけて下さいませ

ここまでのご精読、ありがとうございました

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養生せんといかん

2011年10月08日 13時55分34秒 | 生きる

7日金曜朝の『あさイチ』の五木寛之さんのお話にはビックリでした。
何故なら、以前(15年近く前)テレビで見た五木さんは、酷い腱鞘炎で
ご苦労なさっていましたから、その腱鞘炎が「医者にも行かずに治った」
には驚くしかなくて、ご自分でいろいろ工夫なさった“養生法”を10年続けた
方法が紹介されている本が評判だとのこと。

79歳の現在、年間100日以上は、講演や取材で地方に行かれるそうです。

紹介された“養生法”の中で、私が興味を持ったのが「親爪の根本を押す」やつ。
副交感神経を刺激する、というものです。これは私も続けねばと思いました。

昼夜逆転の日常やら、(石鹸等で)洗わない入浴など、普通じゃない所もあるけど
五木さんはご自分なりに続けてこられたんですから、今があるんですね

今夜のNHKスペシャルは、日野原重明先生の特集です。

年は取る。いずれはお迎えが来る(死んでしまう)。
でも、生きてる間は、とことん生きる

 

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人生・い・ろ・い・ろ

2011年10月01日 11時37分05秒 | 生きる

金子みすゞの「わたしと小鳥と鈴と」の一節の「みんなちがって みんないい」を
理解しているつもりでも、人は自分の価値観が第一だよね。
比べる事はあっても、違いをそのまま受け入れるのには抵抗があって当然だもん。

このブログは、私かれんが、自分の価値観でもって、書いてるので、
「う~ん、よくわかる」と思って下さる方もあれば、「微妙~」とか
「何を考えてるんじゃ」と思う方もあって当然。
自分で“良かれ”と思っても、真逆の取られ方もあるし“おせっかい”でしかなかったり

結局、私って、おせっかいな人間なんだろうな。世話好きというか…。
この点については、幼少時の未だに語られるエピソードがあるので、
死ぬまで変わらんでしょうだから、【私がおせっかいをしなくなった時】
それは【私が私でなくなる時】なんだと思う。

昨夜九州ローカルの枠で観た番組のせいだね(近々Eテレでも放送すると思う)
福祉ネットワーク「すべての人に食べる喜びを~大分発 摂食指導の現場~」の中で
認知症の96歳の方が“食事は口には入れるけれど、入れた後どうすればいいの?”の
ケースを観たのがショックだった食べるという行為すら判らなくなっちゃうの?って。

でもってその後、永六輔さんのこの夏に密着したドキュメンタリーを観て、以前講演会で
大笑いしながらお話を聞いた時の永さんとは大きく違うお姿に、「老いる」事の現実を
重く感じたってわけです

年を取ること、死に向かって行く事からは、絶対に逃れられない現実があるけど
「日野原重明先生のようにありたい」という願望だけでも持っていたい…。
抗う努力?はしたいと思う。

価値観の相違が個性を生み、それが違う価値観と触れ合う時に
「すかん」で終わるか。「違うけどいいんじゃない」って触ってみるか。
この観点から、途中ちょっこしズレた展開になったかな?

「生きてるだけで丸儲け」の状態にある今の私は、しぶとく、かつ
楽しく過ごすのでありますおバカもしながら…

金木犀の香りがいいですね赤とんぼも飛んでます
でも、一気に冬になるような予報が出ていますので
くれぐれもお身体、ご自愛下さいませ

ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました

お気楽かれんも、真面目に考える事もございます
それと「おっぱい体操」も面白かった
どっちも私だね

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最後の最後まで…

2011年09月23日 15時41分30秒 | 生きる

整骨院の待合室で、時々お見かけする患者さんが折鶴を折っておられました。
「姪が、もう(先が)長くないらしいんやけど、何かせずにはおられんけん」とのこと。
姪の方が入院しているという病院の名前で、病状が深刻なのは分かりました。
何故なら、その病院はホスピス専門病院だったからです。子宮がんとの事でした。
入院中の方は、まだお若いはずです。ご本人が諦めないお気持ちなのでしょう。
だからご家族の方も「何とか助かって…」と折鶴に思いを込めるのでしょう。

先日、「86400」の話を書きました。この数字を受け取る事が出来なくなる日は
誰にでも訪れます。これも皆、同じなのですが、『いつ』そうなるかは判らない。
“がん”は、勝手な物言いですが、『いつ』が想定出来る、という意味では、
最後の最後(最期の最期)まで生き切る覚悟が持てるのでは?と私は思います。
意識も無い状態で死の間際まで行った経験から、そう思うのですが、
“がん”であろうと無かろうと、日々、「86400」を大事に生きて行かねば
改めて思ったのでした

実は、以前ここにコメントを寄せて下さっていた片麻痺の方が、去年お亡くなりに
なっていた事を、最近知りまして(ブログのアクセス解析を辿っていて偶然に)
少し落ち込んでました。ちょうど去年の旅行の頃だったらしく、ズンと来ました。

今でこそ、多い日は500アクセスを超えるのですが、アクセスの少ない頃も、
今もこの拙いブログに来て下さってる方達には、皆さんお元気でいて頂きたい
小さくてもいいから「良かった」を感じて過ごしてもらいたい思いは変わりません。

「86400」を受け取る事が出来なくなっても、周りの人の心の中で更に多くの
「86400」の倍数分の時間を共有出来るよう、過ごして行かなくちゃ
お気楽かれんは、真面目に思いました

皆様、良い週末をお過ごし下さいませ
気温が下がったし、空気も乾燥しています
体調にはご留意下さいませ

 

昨日、新しいノートパソコンを買いました古いノートパソコンはメーカーに下取りに出します。家電量販店だと100円ですから…。

今日も負けてる…。逆転サヨナラを期待したいんやけどね…。気が重いわ~

 

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天を恨まず…

2011年09月17日 22時36分23秒 | 生きる

東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市。
ここの階上(はしかみ)中学校の卒業式の梶原君の答辞。
ニュースで見た時にも「グッ」っと来ましたが、昨日のTVで
反響の大きさと、現在の梶原君の様子を見て、また「グッ

辛く、悲しく、悔しく…多くの負の感情を必死に堪えて、彼が述べた
「天を恨まず」というフレーズ…。15歳の彼にぶん殴られた気分だった
TVでは、彼の「天を恨まず…」を聞いた福岡の男性の感想が、実に
ストレートだった。「火事に遭った事で、天を恨んでましたから…」と。

この男性は、答辞を聞いてから、自分の考え方を変え、仕事にも
前向きになり、梶原君の言葉で生き方を変えてもらった恩返しだと
被災地支援にも取り組んでいた姿は、清々しかった

現在の梶原君は、将来の夢に向かって勉強中で、復興への決意も
一層強まったようだった

私も思ったよ。突然の病気で左半身が麻痺してしまった時、
「なんで、私がこんな目に遭わなきゃならないの」って。

被災地の人達には、教えられてばかりです
横着な考えを持たずに、真摯に行かねばなりませんね

外は大雨です
迷走台風のせいですね
どうか、被害が出ませんように

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