一昨日(16日)の日暮れ時、異様な倦怠感に襲われ、その気だるさ、気持ちの悪さが、ただ事ではありませんでした。
これは、何事?と自分に問いかけ、思い当たったことは、約二カ月の病院通い、私自身の医者通い、さらに厳しい暑さでした。
その疲れが、ほっとした心境にある中、一気に今、押し寄せ、私の体をむしばみ始めたのでは、と。
この段階で、寝込むのは、私の人生に、よくある事ですから。
パターン化されているといっても過言ではないほど。
気になる家事を努めたいと思うけれど、あまりの気分の悪さに、もう駄目!と、夫の夕食の準備後、すべてを投げ出し床に付きました。
十分睡眠を取り、目覚めれば、もとの元気を回復していると、期待したのですが、悲しくも、その願いは裏切られました。
気分の悪さが、前日と全く変わりありません。
こんな状態で、今日1日を私はどのように過ごせばよいのか、と途方にくれました。
私一人でしたら、だらだら寝て1日過ごせばよいだけのことかもしれませんが、夫をほおっておけません。
退院してまだ一週間足らず、肝臓の回復に注意を払わないといけない時期だからです。
とは申しても、私にできることは、毎日美味しい食事を三度用意することぐらいですけれど。
でも料理には、大変な時間と労力が必要。
熱を測ると7度5分。もしかすると、次女の婿の夏風邪がうつったのかもしれない、と思いました。
彼が最近、夏風邪で微熱が取れず、3~4日寝込んでいたからです。
もしそうなら、私の風邪を夫にうつしては大変と、いろいろな思いが駆け巡りました。
何気に娘に相談の電話を入れてしまった私。
次女の心配そうな声。
そしてお昼前に家族全員が我が家に大移動してきました。
そして、昼食も、夕食も、我が家の冷蔵庫にあるもので間に合わせ、手早くこしらえてくれ、なかなかのご馳走。
お野菜の入った豚の角煮、れんこんのきんぴら、トマトのサラダ。
私は、本当に助かりました。
でも食欲は全くなく、手を付けられず、孫の相手をするも、束の間。
すぐ疲れてしまい、ベッドに逆戻り。
白のシンプルなワンピースが良く似合い、ますます愛らしくなってきたKちゃんと、お兄ちゃんらしい大人びた表情も時に見せるも、まだまだ愛くるしいK君、二人の姿とお料理の写真を撮ってブログに載せたいとところでしたが、カメラを向ける気力が全く湧いてきません。
何もできず、ベッドに横になったままで、無為に時間が流れて行きました。
いつもタイマーを生活のタクトと感じ、その音に快く背中を押され、リズミカルな生活を心がけている私には、何もしないで時が流れるのは、かなりの苦痛で、精神的に疲れてしまいます。
病気は、できることなら避けて老後を健やかに過ごしたい。
誰もが願うことですね~
そして子供達を頼らず、自立した生活を、人生の終焉ぎりぎりまで心がけたい。
或る日、子供が我が家を訪ねると、昨日までとても元気だった私が、就寝時の姿のままで、亡くなっていた。
これが私の死に際の姿の理想であり、今一番願うことですが・・・・・・
しかし、病は、理想通りの不意打ちを私達に提供してくれるとは限りません。
それに備えて、心の準備と暮らしの備えをしておかなければならないでしょう。
今回、夫(70歳)が長期の入院に至り、一番助けられたことは長年払い続けてきた医療保険です。
一時は無駄な保険では、支払いすぎでは、と思ったこともありましたが、続けて良かった、と。
昨年、今年と三回の入院をし、今年だけの入院費でも、私の交通費、入院直前の検査料その他の雑費も含めると60万円を下りませんでした。
先端医療を利用したこと(5万数千円)二日間の個室代、5万数千円も含まれていますが、かなりの額です。
我が家は、それをすべて医療保険で賄うことができました。
そしてわが国には高額療養費制度と言う、素晴らしい助成制度があります。
この制度がなければ、医療保険で賄い切れたかどうかは、判りません。
この制度を最大限、有効に利用するには、月初に入院しその月の内に退院することです。
夫の場合、今回の二度の入院が、2カ月にかかってしまいましたから、4カ月分の限度額+アルファとなり、かなり割高になってしまいました。
夫の体調、名医の院長先生のご予定もあり、なかなか思うようにはまいりません。
但し、通常の診察、治療費では、医療保険はほとんど役立ちません。
ですから今後も、我が家はその重圧を凌がなければならないのは、ちょっと辛いところです。
しかし、これが、すべての患者さんに請求される金額ではありません。
収入により、高額療養費制度の助成金額に随分差がありますから、驚かないでくださいね。
夫と同じ治療を受けても、10万円以内で済む場合もあります。
医療皆保険により、すべての人達に恵まれた治療が提供される日本の医療制度は、本当に素晴らしい事と、高額療養費制度の知識が身について、さらに一層実感できました。
この制度があることを私が知ったのは、恥ずかしながら、去年の6月、夫が入院する直前のことでした。
皆様は、すでにご存じかと思いますが、まだの方は一度検索し、記憶にとどめられるべきことと思います。
http://www.bms.co.jp/kogakuryoyo/index.html
そして私が抱いた新たな病院の感想は、院内では、病気になれば、患者さんはすべて平等。
世間には存在する貧富の差、身分の差など全くないこと。ある意味聖域だと、しみじみ思いました。
このようなことから、肝臓の大手術をしても、国の制度と、医療保険に随分助けられた我が家です。
ですから、我家の暮らしの備えは、上記のことから、完全とは言えないまでも、十分と言っていいでしょう。
大問題は、病気に対する心の備えです。
私の旦那様は、その備えは万全な人。敬服に値します。
手術の前の厳しい顔つきは、今も忘れられませんが、二カ月近くにわたる今回の入院でも、常に冷静で平常心の夫でした。
難病の目の病を抱えてもいますが、先のことを心配しても仕方ないとの、心境なのか、弱音を吐くことも一切致しません。
私は、夫のような強い精神の持ち主ではありませんから、恐らく心が乱れ、平静ではいられないでしょうね~
主人と同じ状況に置かれた時、自分自身がどんな精神状態になるのか想像すらできませんし、自信もありません。
心の備えができているとは、とても言い難いです。
それに私が元気なうちは、夫の世話を私ができます。
しかしその逆は、ほとんど期待薄です。
今までも何度か入院し、そのたびに、夫は1日も欠かさずお見舞いに来てくれました。
寡黙な夫は、温かな言葉をかけるでもなく、ただ黙って、ベッドの傍らに腰かけているだけの人ですが・・・・・・
照れ屋で不器用な夫の精一杯の愛情表現なんでしょうか。
寝たきりの私に変わって、家事炊事、身の回りの整頓をする能力は全くない人ですから、私が長患いすると、我が家は大変な事になります。
一昨日に続き、昨日も次女家族が全員で我が家に来てくれ、夕食の準備をしてくれました。
今日の昼食、夕食の献立の段取りまで、残りもので考えてくれ、今日も無理しないでね、の一言を残して9時過ぎに帰宅しました。
夫の入院、また今回のことで、次女家族が力となり支えとなり、私達を、本当によく助けてくれました。
都心で暮らす長女家族も、受験生を抱え、フルタイムの勤務ながら、いろいろ気を遣ってくれました。
昨日は長女婿から、主人のその後を心配してお見舞いの電話をくれました。
こちらはベッドの中でしたが、主人のこと、受験生のR君の様子、世間話に至るまで、いつも、彼とは、話がとても弾みます。
優しくて頼りがいのある娘達や婿に恵まれ、介護保険もある昨今ですから、何とかなるのかもしれません。
でも私の理想は、だれにも迷惑をかけないで、この世を去ること。
ぜひそのようでありますように、とひたすら願って止みません。
昨日は、まだ微熱が取れず、寝たり起きたりの生活でしたが、次第に気分も良くなっています。
今日は、久しぶりに日常のリズムを取り戻し、気分も快適と言いたいところですが、首の張りだけは相変わらずで、ここ3~4日常に呼吸が辛く、困ったものです。
この日記は、働く気力が全く湧かず、時間を持て余す中、昨日から今日にかけて、気分の良い時に、少しずつ綴りました。。
そろそろ投稿しなくては・・・・・・
遅ればせながら投稿ボタンを押しましょう。
相変わらずの長文で申し訳ありません。
最後までお読み下さった皆様、お立ち寄り下さった皆様、誠にありがとうございます。
私の今日の日記が、多少でも、皆様のご参考になれば、幸いに存じます。
2日間の可愛い忘れ物
それぞれ別の日の忘れものです。
かれんちゃんには、パンツはまだ不要不急品ですね~(笑)
今日もご訪問有難うございました。