ゆるゆるらいふ

とりあえず、今日も一日機嫌よく・・・

忘年会&送別会

2014年12月28日 | イベント

フラワーアレンジのレッスンでお世話になっている先生の一人がお辞めになるという。

Kstageというスクールを主宰している菊池初美先生の片腕として、
先生がいらっしゃらない時のレッスンを担ってきた山代先生。

お嬢さんがダンナさまと二人で北海道で牧場を経営なさっていて、以前からお手伝いのために
北海道と東京を行ったり来たりしてらっしゃった。

このたび、先生のご主人の定年を機に北海道に家を購入し、永住なさるという。

私や私の母をはじめとし、お世話になった人たちの数は数えきれない。

と言うことで、先生やスタッフのみなさんが総力を挙げて、スクールの忘年会も兼ねた送別会が開催されることに。

会場は先生たちが結婚式のお花をプロデュースしている結婚式場、「ルーデンス立川」



ちょっと遠い

と言うことへの配慮もあり、教室前からマイクロバスで送迎。

至れり尽くせり。

ステキなお庭のついた一戸建て風の式場はとてもいい雰囲気。



 

各テーブルのセンターにある装花は、ブライダルのお仕事を目指してスクールでお勉強中の皆さんの作品たち。

  

 


そしてこちらは今日の主役、山代先生の作品。



会場のルーデンス立川の皆さんも、今日のためにさまざまなサービスとご配慮をしてくださったそうだ。

会場からのサービスというシャンパンで乾杯



パンもここで焼かれたというし、バターもスモークバターも手作り。



つぎつぎと運ばれてくるお料理もどれもとても美味しい。

 

 

デザートには「K」の字が入っているし

ぎりぎりまでお忙しかったはずのスタッフの皆さんが考えた楽しい企画の数々が会を盛り上げる。

3人のお花のプロが競う、花束バトル。

3人の順位をあらかじめ予想して、当たった人たちでじゃんけんし、出来上がった花束をプレゼント

で、勘のいい私は当たった上に、じゃんけんにも勝ち、花束をゲット



ものの5分もかからずに作ったというのにこんなにきれい

ちなみに、母もじゃんけんで勝って同じく花束をいただいた。

3つのうち2つを親子でとってしまうとは・・・。
なんだかちょっと恥ずかしい

スタッフの皆さん総出演でのAKBメドレー。

忙しい中、ちゃんと振付を練習しているのがこれまたすごい

生徒さんのお嬢さんとそのお友達による、フルートとピアノの生演奏。



差し込む柔らかな光の中で、なんとも優雅なひととき。

菊池先生からのご挨拶は先生ご自身が感極まって涙・涙
10年間のさまざまなご苦労を一緒に乗り越えてきた、大切なスタッフへの想いが伝わってくる。

山代先生も涙のご挨拶。

菊池先生は、明るく、エネルギッシュで、はきはきとお話になるが、山代先生は終始穏やかで、ゆっくりと優しくお話になる。

何年もやっているのに覚えの悪い私たち親子にも、同じことを何度もゆっくりと教えてくださった。

感謝の気持ちでいっぱいだ。

生き物を相手にする、これからの牧場でのお仕事は、お花と違って大変なことも多いだろう。
まして、寒い寒い冬がある北海道だ。

けれど、ご家族みんな揃っての生活は何ものにも変えられない喜びもあるはず。

失礼ながら決して若いとは言えない年齢からの新しい出発を決断された先生に心からのエールを送りたい。

どうか、これからの北海道での生活がきらきらと輝くステキなものになりますように

山代先生、どうかお元気で

10年間、お疲れ様でした。

本当にありがとうございました


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恒例 年忘れ 市馬落語集

2014年12月28日 | イベント

 

いや~びっくりした
まさかこんな展開になろうとは

年末に落語に行こう、と誘われたのは11月のこと。
友人は柳家喬太郎さんという落語家のファンなのだという。

失礼ながら存じ上げないが、チケットはすぐに売り切れてしまうとか・・・。

この日は柳亭市馬と言う人の落語の会だけれど、ゲストとして出演するという。

誘われたら断らない、を信条としているので、もちろん行っちゃう。

会場は新宿文化センター。
東新宿という駅は初めてだ。

入り口でプログラムが配られる。
「あれ?」と友人が声を上げる。
歌?

彼女が様子がおかしいのでプログラムを見る。



彼女のお目当ての喬太郎さんは第一部の「落語競演」ではなく、「第二部 昭和歌謡大全集」のところにお名前が。

そもそも「昭和歌謡大全集」って?

どうやら彼女も事情が呑み込めてない様子。

そうこうしているうちに幕が上がり、今日の主役市馬さんの落語「厄払い」がはじまる。

仲入となり、ふたたび幕が上がると、ビミョーなオーケストラ(?)が座っている。
市馬氏の弟子という蝶ネクタイに銀色のスーツの人が、昔の歌謡番組のような司会を始める。

そして始まる「丘を越えて」

え?ホントに歌?

しかも、ほとんど知らない曲



喬太郎さんまで何やらわけのわからない下ネタソングを1曲歌っておしまい。

どこの忘年会だ

舞台の上では市馬さんが気持ちよさそうに歌い続ける。
確かにちょっと藤山一郎さんっぽいかも。

テレビ東京で年末にこんなのやってなかったっけ?なんて思いながら見ていたら、
段々可笑しくてたまらなくなってきた。
こんな面白い舞台に遭遇することなんて、きっと二度とない

喬太郎さんが歌い終わり、ああ、ホントに歌だけなんだ、と思ったころ、
バラバラと帰りだす人たちが。
私の隣にいたオジサマも、さっとバッグを持ち上げ席を立った・・・。
彼らも、きっと間違えたに違いない。

友人は「ごめんね」と何度も謝るけれど、もともと喬太郎さんを知らない私はそれほどの落胆もない。
むしろ、こんなことがなければ、一生お目にかかれない貴重な経験だ。

しかも、大半の人は「歌」とわかっていて、ペンライトまで用意して振ったりしていた。

会場には1500人もいる、とご本人がおっしゃる。
まあ、気持ちよさそうに歌う歌う

人間、力があるとこんなこともできちゃうんだなあ、と妙に感心しちゃった不思議で楽しい夜でした。










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【観劇メモ】鼬 ~いたち~

2014年12月28日 | 演劇

前日に引き続き、2日連続の舞台鑑賞。

この日の会場は三軒茶屋、世田谷パブリックシアター。

一緒に行ってくれたのは、大学の同級生。

いつものように、早めに待ち合わせをして一緒にランチをいただく。

この日のランチは、劇場のはいっているキャロットタワーと言うビルの23階にある展望レストラン。
天気がいいのでスカイツリーも見える。

これまたいつものようにギリギリまでおしゃべりして、劇場へとむかう。


昭和初期の東北地方が舞台。
この戯曲の初演が今から80年前というのに驚く。

今の社会でも起こりうることばかり。

家屋敷が抵当に入り、まさに今日、亡くなったこの家の主の妻である老女おかじは家を追い出されようとしている。
元は家老の定宿だったという「だるま屋」という旅館だが、今は見る影もない。
娘のおしまは夫が刑務所に入ってしまい、娘二人と実家に帰ってきて、酒浸りの日々を送っている。

そこへ、かつてさんざん悪事と不義理を働いたあげく村を出てゆき、織物工場の経営者に成り上がって大金持ちになった
先代の妹、おかじの義理の妹にあたる おとりが現れる。

おかじの怒りと恨みはすさまじくて、「泥棒いたち」なんて罵っちゃう。

そんなところに南洋に出稼ぎに行ったこの家の長男萬三郎が帰国し、借金を返すことになり、
家屋敷は取られずに済む。

が実はそのお金はおとりが工面したもので・・・。

と、どんどん話しは泥沼化していく。

美しくしたたかな悪女、おとりを演じるのは鈴木京香さん。
着物姿が艶やかで、しぐさの一つ一つが絵のようだ。

落ちぶれたおばあさんの、おかじにはベテラン白石加代子さん。
怒りの迫力がハンパない。
後ろに炎が見えるようだ。

人のいい長男は高橋克己さん。
高橋さんが鈴木さんの甥っていうのはどうなんだろう?って気もするが、
おとりの手のひらでコロコロ転がされている情けない感じがぴったり。

出戻りの妹は江口のりこさん。
ものすごくすさんだ感じがよく出ている。

ここにいい人のような顔をしながら、近寄ってくる債権者たちが取り巻いている。

中でもインテリで悪知恵の働く山本龍二さんが演じる山影先生なる人物がホントに胡散臭い。
おとりに色仕掛けで言いくるめられ、一緒にだるま屋乗っ取りを画策する。

お人よしの長男はすっかりだまされて、何の役にもたたない。

最後のおかじとおとりの言い争い場面の激しさったらない
白石さんは興奮のあまり、ときどき白目になってしまい、その都度会場から笑いが起こったけれど、
ここはきっと笑うところではなかったはずだ。
うっすらと笑みを浮かべながら、無力な老婆をどん底に叩き落とす鈴木さんの容赦ない感じと、目の覚めるようなタンカは
「極道の女たち」の時の岩下志麻さんのようだ。

息子のお金だと思っていたものが、実はおとりのお金で、何もかも失ってしまったと分かった時のおかじの落胆は胸に迫るものがある。

最後の最後、おとりが無言ですっと手を挙げて、おしまを制するシーンでは、
ピンと糸が張りつめたように空気が止まり、思わずため息が出そうな美しさ。
背中がぞくぞくするほどだ。

どこかで少しくらいいい人になるのかと思ったけれど、とうとう最後までとんでもない悪女だった。

なんだか救いのない悲惨な話だったけれど、おかじの悪態も、おとりの悪巧みもここまで来るとむしろ小気味いい。

台詞が全部東北弁っていうのもリアリティが増幅された一因だと思う。

それにしても、人をだます手法っていうのは昭和初期も今もあまり変わっていない。
振り込め詐欺もそうだけれど、同じ手口に繰り返しひっかかってしまう。

こんな風に何もかもとられちゃうって怖い、と一緒に行った友人もつぶやいていた。

そうそう、毎日ぼんやりしてばかりはいられない。
悲しいことだけれど、危険を察知するアンテナは研ぎ澄ましておかなければ・・・。













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