なんとも救いの無い重~い余韻が残る。
だって、幸せな人が一人もいない。
差別・偏見・暴力がうずまく小さな田舎町では、もはや保安官だって「保安」していないのだから。
自由の国のはずのアメリカが、もしかしたら、このちいさな島国よりも閉鎖的かも、と思ってしまう。
とりわけ人種差別のレベルが違う。
人間とも思っておらず、いとも簡単に命を奪ってしまう。
勝手な大義名分のもとに・・・。
イタリア移民の成功者の娘だったレイディ(大竹しのぶさん)は
父の成功をねたむ人種差別の秘密結社に殺され、それとは知らずに 金で買われるようにそのリーダーと結婚してしまう。
彼女の夫ジェイブ(山本龍二さん)は不治の病におかされていて、余命いくばくもない。
レイディは夫の死を楽しみに待つかのように、新しい店の開店準備を始める。
そこに、保安官の妻ヴィー(三田和代さん)の紹介で、
ギターを手にしたミステリアスな若者ヴァル(三浦春馬さん)が現れ、レイディの店で働くようになる。
レイディはもちろんのこと、名家の娘だけれど、その奇行からみんなに疎まれているキャロル(水川あさみさん)もヴァルに心を惹かれ、
彼こそが自分をこの町から連れ出してくれるはず、とかすかな希望をいだく。
若く、魅力的なよそ者の出現に、町の男たちの嫉妬は日に日に高まっていき、身の危険を感じるヴァル。
自分の父の死が事故ではなく、夫達による殺人だったことを知ってしまうレイディ。
妻のヴァルへの想いに気が付き、嫉妬のあまりレイディに銃を向けるジェイブ。
もう最後はどろどろの殺し合い・・・。
近所の女性たちの噂話の前ではかたくなに、
夫の前では嫌悪感をあらわにしつつ、卑屈な態度で、
ヴァルの前では少女のようにかわいらしく、時に妖艶に、
と大竹しのぶさんが別人のようにくるくると変わる姿がすごい。
ただ幸せになりたいだけなのに、という切なさがひしひしと伝わってくる。
三浦春馬さんは、テレビより舞台の方が断然ステキ
歌もお上手
ものすごい女ったらしなのかと思いきや、小心者で意外と誠実っていう男の子を好演。
山本龍二さんは「鼬」のときもそうだったけれど、狡猾さと凄味のある怖さで背筋がざわっとする。
保安官までが一緒になって、人殺しを黙認してしまうという恐ろしい町では
逃げ出す以外に生きる道はないのだけれど、それができない人たちの暗澹たる思いが舞台上全体に渦巻いていて
とにかく重かった・・・。
この舞台の初演は1940年だという。
形は違うかもしれないが、現代においても、さまざまな差別や偏見や暴力が渦巻いている。
それとはちょっと違うけれど、力を持つ人たちがが作り上げる大義名分のもと、理不尽がまかり通る図式は、
まさに今、日本の国会でも民主主義の薄いベールをかぶせられて繰り広げられている気もする。
こうやって形を変えながら、いつの時代にも繰り返されていくのかと思うと、ちょっと切なくなってしまうけれど、
せめて私たちは自分の身の周りで、できることから小さな幸せを積み重ねて行かなきゃ、と思ったりする。
だって、幸せな人が一人もいない。
差別・偏見・暴力がうずまく小さな田舎町では、もはや保安官だって「保安」していないのだから。
自由の国のはずのアメリカが、もしかしたら、このちいさな島国よりも閉鎖的かも、と思ってしまう。
とりわけ人種差別のレベルが違う。
人間とも思っておらず、いとも簡単に命を奪ってしまう。
勝手な大義名分のもとに・・・。
イタリア移民の成功者の娘だったレイディ(大竹しのぶさん)は
父の成功をねたむ人種差別の秘密結社に殺され、それとは知らずに 金で買われるようにそのリーダーと結婚してしまう。
彼女の夫ジェイブ(山本龍二さん)は不治の病におかされていて、余命いくばくもない。
レイディは夫の死を楽しみに待つかのように、新しい店の開店準備を始める。
そこに、保安官の妻ヴィー(三田和代さん)の紹介で、
ギターを手にしたミステリアスな若者ヴァル(三浦春馬さん)が現れ、レイディの店で働くようになる。
レイディはもちろんのこと、名家の娘だけれど、その奇行からみんなに疎まれているキャロル(水川あさみさん)もヴァルに心を惹かれ、
彼こそが自分をこの町から連れ出してくれるはず、とかすかな希望をいだく。
若く、魅力的なよそ者の出現に、町の男たちの嫉妬は日に日に高まっていき、身の危険を感じるヴァル。
自分の父の死が事故ではなく、夫達による殺人だったことを知ってしまうレイディ。
妻のヴァルへの想いに気が付き、嫉妬のあまりレイディに銃を向けるジェイブ。
もう最後はどろどろの殺し合い・・・。
近所の女性たちの噂話の前ではかたくなに、
夫の前では嫌悪感をあらわにしつつ、卑屈な態度で、
ヴァルの前では少女のようにかわいらしく、時に妖艶に、
と大竹しのぶさんが別人のようにくるくると変わる姿がすごい。
ただ幸せになりたいだけなのに、という切なさがひしひしと伝わってくる。
三浦春馬さんは、テレビより舞台の方が断然ステキ
歌もお上手
ものすごい女ったらしなのかと思いきや、小心者で意外と誠実っていう男の子を好演。
山本龍二さんは「鼬」のときもそうだったけれど、狡猾さと凄味のある怖さで背筋がざわっとする。
保安官までが一緒になって、人殺しを黙認してしまうという恐ろしい町では
逃げ出す以外に生きる道はないのだけれど、それができない人たちの暗澹たる思いが舞台上全体に渦巻いていて
とにかく重かった・・・。
この舞台の初演は1940年だという。
形は違うかもしれないが、現代においても、さまざまな差別や偏見や暴力が渦巻いている。
それとはちょっと違うけれど、力を持つ人たちがが作り上げる大義名分のもと、理不尽がまかり通る図式は、
まさに今、日本の国会でも民主主義の薄いベールをかぶせられて繰り広げられている気もする。
こうやって形を変えながら、いつの時代にも繰り返されていくのかと思うと、ちょっと切なくなってしまうけれど、
せめて私たちは自分の身の周りで、できることから小さな幸せを積み重ねて行かなきゃ、と思ったりする。