今年2月に叔母(母の妹)が亡くなった。
アルツハイマー型認知症で長いこと施設でお世話になっていた。
母(91歳)は葬儀に行きたがったが、
遠方だし、家族葬だし、私の足の手術前でついていけないこともあり、
参列はかなわなかった。
足がよくなったらお墓参りに行こう、と約束したので、
私の足の回復を今か今かと待っていた母だったが、とうとう待ちきれずに、
7月2日~3日の一泊二日ででかけることとなった。
今回は3か所のお墓を巡る予定。
妹たち二人も一緒に新幹線で仙台まで行き、
そこでレンタカーを借り、
叔父(亡くなった叔母の夫)やいとこたち、
もう一人の叔母(母のもう一人の妹)と合流し、
お昼ご飯を食べてから、叔母の眠る霊園へと向かう。
仙台市内から少し離れた山の上にある霊園はものすごく広くて、
次に行っても自力ではお墓にたどり着けないと思う。
叔母の婚家は神道なので、どんなお墓なのかな、と思っていたら、
お墓の形はごく普通。
ただ、墓碑銘がちょっと違う。
「~家」の後に「奥都城(おくつき)」と書いてある。
これが神道の書き方らしい。
周りを見ると、どのお墓にも書いてあるので、
ここは神道エリアなのかもしれない。
お墓参りを終えたらすでに3時を回っていたので
残りの2か所は翌日に回ることにして、ファミレスでお茶をして解散。
宿泊は仙台駅からから車で15分ほどの秋保温泉、秋保グランドホテル。
新幹線とホテルがパックになっているツアーで、選べるホテルの中に温泉も含まれていたので、
駅前のビジネスホテルよりもこちらを選んだ。
同じ料金で夕食も付いてるし・・・
ホテルのロビーからの景色はいきなり山
とても分かりにくいけど小さな滝もある。
昔来たときはすごく古い感じだったけど、
お風呂も部屋も改装したらしく、
きれいになって快適だった。
翌朝、母の実家のお墓のある名取市のお寺で待ち合わせ。
ここには実家と叔父(母の弟)のお墓がある。
7/1は20歳という若さで交通事故で亡くなったいとこの命日だったので、
お墓にはまだ新しいお花がいっぱい。
あの時の悲しい驚きを思い出し、ちょっと悲しくなる。
お参りを終えて、次は亘理町にある叔父(もう一人の叔母の夫)のお墓を参ろう。
この叔母夫婦は定年まで東京に住んでいて、当時妹と二人で千葉に住んでいた私たちは本当にお世話になった。
子供がいない彼らは、私たちのことを娘のように気遣ってくれ、親よりも親身になってくれていた。
私たちの息子たちを孫のようにかわいがってもくれる。
定年後、亘理町の山の上に家を建てて引っ越してからは、夏休みに息子たちを連れて遊びに行き、
近くの海に海水浴に連れて行ってもらったものだ。
その海水浴場も震災の時に津波の被害を受けた。
叔父が余命を宣告されたのち、
二人は山の中腹にあるお寺に永代供養のお墓を買い求めた。
今はそこで眠る叔父の名前の横には叔母の名前を彫るスペースが空いている。
木々が美しいお寺は、とても静かで、時折うぐいすの鳴き声が聞こえて癒される。
叔母は今、住んでいた家を売って、仙台市内のサ高住に暮らしている。
亘理の家は車が無いと生活できない場所なので、いずれはそうする、と前から言っていたのに、
なぜ、このちょっと遠くて不便な場所にわざわざお墓を買ったのか不思議だったのだが、
この日、墓碑の横からの景色を見下ろして、理由がわかった気がした。
叔父がよく釣りに行っていた大好きな海が一望できるのだ。
家を建てるときも、その土地から海が見えることが決め手となったと言っていたし、
お風呂の窓からは遠くに海が見えた。
とてもとても仲良しの二人は、
この場所で眠り、二人で海を眺めようと思ったのかもしれない。
考えてみれば永代供養だから、
お墓参りに来る人のことは考えることもないのだ。
ゆっくりとお参りをして、
とてもきれいなお寺のトイレに入ったら
こんな張り紙が!
「汚れたトイレでは泣きたいときに泣けない・・・」とか
書いてあることが面白過ぎて、長居しそうなので、写メってきました。
バタバタとお墓を巡り、
少し遅めの昼食をいただき、
予想よりも道が空いていて、一時間近く早くレンタカーを返したら、
少しだけど返金してくれた。
そんなこともあるのね!
叔母も一緒に私たちと千葉に来ることになったので、
翌日は1日ゆっくり休んで、そのあと房総館山の温泉に一泊二日で行くことにした。
母は自分が思っていたよりも歩けなかったことに
ややショックを受けていたけど、91歳の年齢を考えると自力で歩いているだけいいんじゃないかと思う。
館山はのんびりペースで出かけることにします。
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