ずっと観たいと思っていた。
この戯曲の作・演出は2013年度、戯曲セミナーを受講したときの講師の一人、前川知大さん。
この「太陽」は昨年、綾野剛さんや前田敦子さんが出演し、故蜷川幸雄氏の演出で上演されたが、
チケットを買えなかった。
この春映画化されたけれど、舞台のチケットを買っていたので、あえて観なかった。
そして、大学時代の友人と共に三軒茶屋のシアタートラムへ。
面白かった
このところ、中盤ででガクッと眠くなることが多かったのだが、
この日は前日3時間しか寝ていないにもかかわらず、最後までクギづけになっっていた。
何がどう?と言ったらいいか・・・。
とにかく隙がない、とでも言おうか。
近未来、バイオテロで激減した人類は2種類の人種に分かれてしまう。
ウイルスの感染者の中で奇跡的に回復した人々「ノクス」は、歳をとるスピードが遅く、肉体は強靭、
頭脳も明晰で、次第に勢力を伸ばし、政治経済の実権を握る。
ただ、彼らは、紫外線を浴びると死んでしまうため、夜しか行動できない。
旧来の人間は「キュリオ(骨董品)」と呼ばれ、四国にまとめられるが、中には故郷の小さな集落で暮らしていたりする者もいる。
かつて、ノクス殺傷事件をおこし、逃亡している者がいる集落は、経済制裁をうけ、10年間村八分状態。
ほとんどが移住してしまい、20人ほどの集落になっている。
制裁がとけて、再びノクスとの交流が始まり、村にいる数少ない若者である幼馴染の男女はノクスになるための抽選に申し込むが・・・。
女の子の方はノクスになることに抵抗を感じるが、彼女の父親は彼女の将来のために、ノクスになることを望んでいる。
男の子のほうは、とにかくノクスになりたい。
集落の入り口に立つ、ノクスの見張り番の青年とノクスにあこがれるキュリオの少年の交流が、
微笑ましく、ときに悲しい。
太陽の下で、自然の営みができるキュリオにあこがれる見張り番と、ノクスの能力にあこがれ、
集落を出て、学校に行って勉強したいと切望する少年。
かつて、この集落の住民で、現在はノクスとなり、別の男性と再婚している女の子の母親は、
ノクス特有の不妊であるために、集落に置いてきた娘を養子にしてノクスにしようと画策する。
ノクスは考え方が合理的でいわゆる「情」が薄い。
淡々と抑揚なく話し、久しぶりに娘と再会しても何の感情も湧かないのが薄気味悪い。
それどころか「みすぼらしいと思った」なんて吐き捨てるように言っちゃう。
ペットかおもちゃを欲しがっているようだ。
かたやキュリオである父親は、見ている方が苦しくなるくらい娘を思い、
ノクスの母親に引き渡してしまうことがはたしていいのかどうか、思い悩み続ける。
ノクスになり、父の元を訪れ、形式的にハグして、さっと帰っていく感情の無い娘を見送った後、号泣する父親。
作り話とわかっていても、胸が熱くなる。
娘をノクスにすることに手を貸した、かつて父の友達だった医師の苦しみ。
ノクス殺人事件の加害者の残された家族の苦悩。
集落に戻ってきた加害者の傍若無人な振る舞いに翻弄される、見張り番と少年。
ノクスとキュリオの生活が交互に語られ、どちらにもそれなりの苦悩があり・・・。
太陽を仰ぐことなく、夜の世界だけで、感動もない長い長い人生を送るのは、はたして幸せなのか。
長く長く生きねばならないから感情がなくなるのか。
限られた命だから、老いていくから、日々の小さなことに感じるものがあるのか。
少年はどちらの人生を選ぶのか・・・。
最後に医師から語られる、ノクスの知られざる真実は・・・。
と、とにかく最後までハラハラ、どきどき。
自分を振り返ると、すでに「老後」が目の前にあり、身体のあちこちが軋んでいる。
アンチエイジングにはもちろん興味があるけれど、抗えない。
なんとなく仕事にも先が見えてきたし、介護と言う言葉も他人ごとではなくなってきた。
もう「いつかやろう」なんて言っていられない。
今、目の前に「ノクス」になる権利をちらつかせられたら、私は一体どうするだろう、などと思う。
夜に生きる不老不死の人たちは、まるでバンパイアだ。
「死なない」のではなく「生き続けなければならない」と言うことは幸せなのだろうか。
観終ったあとからも、じわ~っと来るこの不思議な感じ。
当日券の立ち見客の数がハンパじゃなかったけど、私達はど真ん中のとてもいい席で観ることが出来た。
これを幸せと感じることが出来る今の生活が、やっぱり私にはいいのかもしれない。
いつも、大きな劇場での舞台にお付き合いいただいている友人だが、今回は小さめの劇場での観劇。
超有名人はいなかったけれど、付き合ってくれて感謝
観劇はもちろんだけれど、いつものように早めに待ち合わせして、ランチをいただき、
彼女の電車の時間までお茶をして、しゃべり続けるのも楽しみの一つ。
気を遣わなくていい、学生時代の友人は宝物だ。
次の約束は7月。
また会いましょう
この戯曲の作・演出は2013年度、戯曲セミナーを受講したときの講師の一人、前川知大さん。
この「太陽」は昨年、綾野剛さんや前田敦子さんが出演し、故蜷川幸雄氏の演出で上演されたが、
チケットを買えなかった。
この春映画化されたけれど、舞台のチケットを買っていたので、あえて観なかった。
そして、大学時代の友人と共に三軒茶屋のシアタートラムへ。
面白かった
このところ、中盤ででガクッと眠くなることが多かったのだが、
この日は前日3時間しか寝ていないにもかかわらず、最後までクギづけになっっていた。
何がどう?と言ったらいいか・・・。
とにかく隙がない、とでも言おうか。
近未来、バイオテロで激減した人類は2種類の人種に分かれてしまう。
ウイルスの感染者の中で奇跡的に回復した人々「ノクス」は、歳をとるスピードが遅く、肉体は強靭、
頭脳も明晰で、次第に勢力を伸ばし、政治経済の実権を握る。
ただ、彼らは、紫外線を浴びると死んでしまうため、夜しか行動できない。
旧来の人間は「キュリオ(骨董品)」と呼ばれ、四国にまとめられるが、中には故郷の小さな集落で暮らしていたりする者もいる。
かつて、ノクス殺傷事件をおこし、逃亡している者がいる集落は、経済制裁をうけ、10年間村八分状態。
ほとんどが移住してしまい、20人ほどの集落になっている。
制裁がとけて、再びノクスとの交流が始まり、村にいる数少ない若者である幼馴染の男女はノクスになるための抽選に申し込むが・・・。
女の子の方はノクスになることに抵抗を感じるが、彼女の父親は彼女の将来のために、ノクスになることを望んでいる。
男の子のほうは、とにかくノクスになりたい。
集落の入り口に立つ、ノクスの見張り番の青年とノクスにあこがれるキュリオの少年の交流が、
微笑ましく、ときに悲しい。
太陽の下で、自然の営みができるキュリオにあこがれる見張り番と、ノクスの能力にあこがれ、
集落を出て、学校に行って勉強したいと切望する少年。
かつて、この集落の住民で、現在はノクスとなり、別の男性と再婚している女の子の母親は、
ノクス特有の不妊であるために、集落に置いてきた娘を養子にしてノクスにしようと画策する。
ノクスは考え方が合理的でいわゆる「情」が薄い。
淡々と抑揚なく話し、久しぶりに娘と再会しても何の感情も湧かないのが薄気味悪い。
それどころか「みすぼらしいと思った」なんて吐き捨てるように言っちゃう。
ペットかおもちゃを欲しがっているようだ。
かたやキュリオである父親は、見ている方が苦しくなるくらい娘を思い、
ノクスの母親に引き渡してしまうことがはたしていいのかどうか、思い悩み続ける。
ノクスになり、父の元を訪れ、形式的にハグして、さっと帰っていく感情の無い娘を見送った後、号泣する父親。
作り話とわかっていても、胸が熱くなる。
娘をノクスにすることに手を貸した、かつて父の友達だった医師の苦しみ。
ノクス殺人事件の加害者の残された家族の苦悩。
集落に戻ってきた加害者の傍若無人な振る舞いに翻弄される、見張り番と少年。
ノクスとキュリオの生活が交互に語られ、どちらにもそれなりの苦悩があり・・・。
太陽を仰ぐことなく、夜の世界だけで、感動もない長い長い人生を送るのは、はたして幸せなのか。
長く長く生きねばならないから感情がなくなるのか。
限られた命だから、老いていくから、日々の小さなことに感じるものがあるのか。
少年はどちらの人生を選ぶのか・・・。
最後に医師から語られる、ノクスの知られざる真実は・・・。
と、とにかく最後までハラハラ、どきどき。
自分を振り返ると、すでに「老後」が目の前にあり、身体のあちこちが軋んでいる。
アンチエイジングにはもちろん興味があるけれど、抗えない。
なんとなく仕事にも先が見えてきたし、介護と言う言葉も他人ごとではなくなってきた。
もう「いつかやろう」なんて言っていられない。
今、目の前に「ノクス」になる権利をちらつかせられたら、私は一体どうするだろう、などと思う。
夜に生きる不老不死の人たちは、まるでバンパイアだ。
「死なない」のではなく「生き続けなければならない」と言うことは幸せなのだろうか。
観終ったあとからも、じわ~っと来るこの不思議な感じ。
当日券の立ち見客の数がハンパじゃなかったけど、私達はど真ん中のとてもいい席で観ることが出来た。
これを幸せと感じることが出来る今の生活が、やっぱり私にはいいのかもしれない。
いつも、大きな劇場での舞台にお付き合いいただいている友人だが、今回は小さめの劇場での観劇。
超有名人はいなかったけれど、付き合ってくれて感謝
観劇はもちろんだけれど、いつものように早めに待ち合わせして、ランチをいただき、
彼女の電車の時間までお茶をして、しゃべり続けるのも楽しみの一つ。
気を遣わなくていい、学生時代の友人は宝物だ。
次の約束は7月。
また会いましょう
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