人生ブンダバー

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東大作『我々はなぜ戦争をしたのか』

2008-09-13 10:29:47 | 近現代史
平成10('98)年NHKスペシャルで放送された「我々はなぜ戦争をしたのか 米
国・ベトナム 敵との対話」が本となっている。(岩波書店発行)

ベトナム戦争「も」知らない人が増えた。「戦争を知らない子供たち」といっても
いつの戦争なのだか分からない。
(余談だが、明治20年台生まれの祖母にとっての戦争は日露戦争のことを言ってい
ることがあった。)


マクナマラ元米国防長官(マクナマラはあくまで文官であり、軍人ではない。)の
提唱により、平成9('97)年6月ハベトナムのハノイで米国とベトナムの非公開討
議が行なわれた。

ベトナム戦争は昭和34(1959)~50('75)年の長期にわたった。
お互いにベトナム戦争の「そのとき」、何を考えていたのか?を一つひとつ検証し
ている。

B-52による猛烈な北爆でベトナム人民に多大な犠牲が出たが、それなのにベト
ナム(北ベトナム)はなぜ和平交渉に臨まなかったのでしょうか?という米国側の
質問はいかにも米国らしい。言葉は悪いが、このあたりに米国の一種の「傲慢さ」
が垣間(かいま)見える。(--私は反米主義者ではないのだが。)

「トンキン湾事件」によって米国はベトナム戦争に本格的に介入した。「トンキン
湾事件」--その北ベトナムの2回目の攻撃は米国の「でっち上げ」とされてお
り、マクナマラがベトナム側に直接質問する場面も出てくるが、それではまるで満
洲事変の柳条湖事件ではないのだろうか?

「世界の警察」米国は北ベトナムをソ連と(当時でいえば)中共による「国際共産
主義の手先」と観ていたが、(北)ベトナム側はあくまで民族独立運動と意識して
いたようだ。(民族独立運動観は当時、司馬遼太郎もそう観ていたと記憶する。)


ベトナムはいまだ共産党の一党独裁国家であり、当時の文書であっても、情報公開
はされておらず、この対話の際も文書の情報公開はまったくなかったことが書かれ
ている。この点は忘れてはなるまい。


とまれ日中戦争(日華事変)について、日本と中国(当時は国民党政府軍)との間
で、このような検証が行なわれたことを私は知らない。貴重な記録である。

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